ローマ8:15
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
奴隷の霊を受けたのではありません
私たちは「奴隷の霊」を受けたのではありません。
私たちは「子とする御霊」を受けたのです。
しかし、多くの人が信仰告白をして救われたにもかかわらず「奴隷の霊」に従って歩んでいるようです。
もし、あなたが何らかの「恐怖」に縛られているならば、そこには確実に「奴隷の霊」が働いています。
なぜなら「奴隷の霊」は、私たちを「恐怖に陥れる」からです。
「恐怖」とはギリシャ語では「φόβος(フォボス)」です。これは、英語の「恐怖症(phobia)」の語源となった言葉です。
「奴隷の霊」は、私たちに様々な「恐怖症」をもたらすのです。
私たちは多くのことに「恐怖」を感じます。もちろん、危険に対する「正常な恐怖」は別です。
恐怖症と呼ばれてはいなくても、さまざまな物や事に「恐怖」を覚えることが多々ありますよね。
私たちは「孤独」を恐れます。
「失敗したらどうしよう」と恐れます。
「この先、どうやって生きていこう」と恐れます。
まだ「起こっていないこと」を想像して恐れます。
「きっと無理だ。絶対にダメだ」と決めつけて恐れます。
「誰も理解してくれないだろう」と恐れます。
私は、とても「心配性」です。それは、人より「少し慎重なだけ」というレベルではないようです。過度な「心配」は「慎重」とは呼びません。それは「恐れ」なのです。
私が心配し始める時、「人を再び恐怖に陥れる奴隷の霊」に捕らわれているのです。
サタンは巧妙です。あなたの不安を「正当化」するのが上手です。
しかし、聖書は「何も思い煩うな」と言っています。「明日のことを心配するな」とも言っています。
あなたが何に「恐怖」を感じているのかは分かりません。しかし、聖書は繰り返し繰り返し「恐れるな」と命じています。
イエス様は「死の恐怖によって一生奴隷としてつながれていた」私たちを解放してくださったのです。
「死」とは「最後の敵」です。「最後」とは「これ以上ない」と言うことです。「死」の前には様々な「恐れ」がありましたが、それらは「すでに」打ち砕かれた敵なのです。「死」が最後に打ち砕かれたとき、私たちは「完全」に解放されたのです。
私たちは「以前、無知であったときの様々な欲望」には従いません。恐怖で縛りつけるのは「神の方法」ではありません。私たちは、もはや「無知」ではないのです。
あなたは「子とする御霊」を受けました。あなたは「奴隷の霊」とは何の関係もありません。
ですから、すべての恐怖に命じなさい。
「恐れ」をもたらす者よ、私は「奴隷の霊」とは何の関係もない。私は、キリストにあって「子とする御霊」を受けたのだ。すべての「恐れ」の源を断ち切る。「奴隷の霊」よ、イエス・キリストの御名によって立ち去れ。
さあ、今、手をあげて「アバ、父よ」と叫びなさい。
あなたは「奴隷の子」ではありません。「約束の子」「自由の子」なのです。
私は、子とする御霊を受けました
私は恐れません
アバ、父よ、感謝します

