ヨハネ6:60
これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどいことばだ。だれが聞いていられるだろうか。」
それは「ひどい」ことばでした
イエス様がご自分を「いのちのパン」であると言われたとき、多くの弟子たちがつまずきました。
この言葉に「不快感」を覚えたのは、ついて来た「群衆」ではありません。十二弟子以外の「弟子たち」でした。彼らは、イエス様を「師」と慕って弟子となったのです。
しかし、彼らは、師であるイエス様のことばに「嫌悪感」を抱いたのです。彼らにはとても受け入れがたく、理解することが困難だったのです。
彼らは「これはひどいことばだ」と言いました。けれど、その「ひどいこと」が文字通り起こるのです。弟子たちが拒んだのは「十字架」だったのです。
十字架は、決して美しいものではありません。それは処刑の道具です。十字架刑とは、最も残酷な刑の一つであると言われます。
イエス様は、その御身体を裂かれました。そして、血を流されました。
もし、その場にいたならば、あなたも私も絶対に直視できなかったでしょう。
十字架刑を見ていた人々は「降りてこい」「自分を救ってみろ」と叫びました。
イエス様は、そこから降りることもお出来になりましたし、ご自身を救うこともおできになりました。しかし、「あえて」されなかったのです。
なぜでしょう?
それが「御父の御心だったから」です。御父が「ひとりも滅びることを望んでおられない」と知っておられたからです。そして、ご自身が十字架を拒まれたなら、その神のみこころが実現しないと知っておられたからです。
「ひどいこと」は起きました。それは、十字架の上で起こりました。
あなたは、それを受け入れますか?
イエス様の身に起こった「ひどいこと」が、私たちに平安をもたらし、私たちを癒しました。
あなたは、イエス様の身に起こったことを受け入れますか?
ペテロのように遠慮して「私の足を洗わないでください」と言うのなら、あなたはイエス様のもたらされる平安を受け取ることはできません。
「肉」と「血」にあずかることができるのは、聖霊によることを覚えてください。
人間の「知性」や「理性」ではとうてい受け入れることはできないのです。
十字架のことばは、ある人々には「それはひどいことばだ」と思えます。
十字架のことばは、ある人々には「とても受け入れがたい」のです。
しかし、信じる者には「神の力」です。聖霊によって、恐ろしく不気味な十字架が、聖徒の目には麗しく映るのです。
御霊によって「肉」を食べ「血」を飲むことを理解しなさい。
イエス様は、あなたのうちにとどまるために十字架を忍ばれたのです。
主の十字架を感謝します
主の打ち傷によって私は癒されました
私はイエス様の肉と血にあずかります

