詩篇34:1
私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。
いつも主への賛美を
ダビデは、きっと「恥ずかしい」と思ったでしょう。
ダビデは危機を脱出するために「気が変になったふりをした」のです。この知恵が聖霊様からのものだとは思えませんが、仮にそうであったとしても、ダビデが「恥」を感じたことは間違いないでしょう。主に心からより頼まず、人に頼ろうとしたことを悔いたかもしれません。
サウルから逃げて、行く当てもなく不安と恐れの真っただ中にいるダビデ…
その上「屈辱」までも味わうことになったダビデ…
辛くて、みじめで、孤独なダビデ…
しかし、そのような状態であっても、ダビデの口には「主への賛美」があったのです。このことから、賛美は決して「感情」や「状況」によるものではないことが分かります。
「あらゆるとき」とは「どんな時でも」「どんな状況でも」と言う意味です。
「主をほめたたえる」ことは、感情に左右されません。状況にも左右されません。
私たちは「あらゆるとき」に、主をほめたたえることができるのです。
「ほめたたえる」と「祝福する」とは、どちらも同じヘブル語「バラク」です。
「バラク」の本来の意味は「ひざをかがめる」です。
人が、神の前に「ひざをかがめる」なら、それは「ほめたたえる」ことです。
神が、人の前に「ひざをかがめて」くださるとき、それは「祝福する」ことなのです。
主は、降りて来てくださる神であることを覚えてください。主は、ひざをかがめて祝福することを厭われない神です。
イエス様は、神のあり方を捨てることができないとは思われませんでした。主は、私たちを祝福するために「へりくだって」くださる方なのです。
あなたが人生のどんな季節を通っていても、主は、あなたのそばにおられます。
あなたが恥を感じていて、とても目を上げられずに顔を伏せたままであっても、主は自らひざをかがめ、あなたの手を取ってくださいます。
あなたが失意のどん底にあって孤独で泣きそうになっていても…
よみにまで下られた方は、あなたのいる失意のどん底にも下ってきてくださいます。
ゆえにあなたも、その場所で「ひざをかがめ」なさい。
あなたのために「ひざをかがめてくださる方」を信じなさい。
あなたがひれ伏すなら、主は身をかがめ御手を伸べてくださいます。
あなたがほめたたえるなら、主の祝福を経験します。
あなたの口にも絶えず賛美が与えられるでしょう。
ダビデが見出した祝福を、あなたも必ず見出すことができるのです。
私は、主をほめたたえます
御手を伸べてくださる方を信じます
私は絶えず賛美します

