イザヤ57:19
私は唇の実を創造する者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒す。
ー主は言われるー
唇の実を創造されます
イスラエルは、不正な利得つまり自分の都合のために、主に背きました。彼らは、主に聞き従わず、自分勝手な道をひたすらに歩んでいました。
主は、そのような彼らの道を見て、それでもなお「わたしは彼を癒す」と言われます。
主は、私たちの道をご覧になりました。私たちの背きの罪をすべて知っておられます。しかし、それでも、なお御手を差し伸べ、私たちを「癒して」くださいました。
そして「癒された者」のしるしがここで語られます。
主は、唇の実を「創造される方」です。
ここで「創造する」と訳されている語は、ヘブル語の「バーラー」です。これは、創世記1章1節の「創造された」と同じ語です。つまり「神の超自然的な力による創造」ということです。
「癒された者」は「唇の実」を「創造」されるのです。
「唇の実」とは何でしょう?
ヘブル書の著者は「唇の果実」とは「賛美のいけにえ」のことであると言っています。
ダビデは言いました。
「あらゆるとき」とは、順調なときだけという意味ではありませんね。
逆境の時も、嫌なことがあった日も、病気になったときも、何かを失った日も…
私たちの口には「いつも主への賛美がある」のです。
なぜなら、唇の実を「創造」されるのは、主ご自身だからです。
「癒された者」のしるしとは「唇の実」が創造されることです。そして、それこそ「ペンテコステの日」に起こったことです。
それは「超自然的な御力による実」です。
つまり、私たちは「あらゆるときに」「どんな状況にあっても」賛美することができるのだということです。
それが、賛美が「感情によるのではない」と言われる理由です。
今の自分には、絶対に賛美なんかできないと思うとき…
疲れ果て、自分の力では「ことば」を発することすらできないと思うとき…
「唇の実を創造される方」を見つめなさい。
混沌として何もない地から「非常に良い」ものを創造された方が、今、あなたの口に触れてくださいます。
すべてをゆだねるなら、あなたも「唇の果実」を結ぶことができます。
あなたが「唇の実」である賛美に満ちるなら「主の平安」を体験します。
「あらゆるとき」に賛美をささげるならば、必ず「平安」に包まれるのです。
創造主である方をほめたたえます
私の口に「賛美の果実」を創造してください
あらゆるときに「賛美」をささげさせてください

