Ⅰペテロ5:6
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
力強い御手の下に
「へりくだりなさい」とは、直訳すると「へりくだらされなさい」です。
とてもおかしな日本語になりますね。けれど、へりくだりが「受動態」で記されていることには意味があるのです。
ともすれば、人は「へりくだること」すらも「誇り」としてしまいます。それは本当に愚かなことです。
イエス様は「断食するときには暗い顔をしてはいけません」と言われました。それは「人に知られないため」です。そもそも「断食」とは「へりくだり」を表わす行為ですから「人に知られる」必要はないのです。「へりくだり」を人に「知ってもらいたい」と思った時点で、それはもう「へりくだり」ではありません。
「へりくだり」は「神の力強い御手の下」から離れては無意味なのです。
「へりくだりたい」と願うなら、まず「神の力強い御手の下」にいることを認めなければなりません。そして、その「御手の下」から動かないことです。
イエス様の模範を見なさい。
イエス様はすべてを「正しくさばかれる方」にお任せになりました。すべてを「委ねられた」のです。
そして、それが「へりくだらされる」ということなのです。
「へりくだろう」とすることをやめなさい。あなたにはできないからです。
神の御手が「力強い」ことを認めなさい。その御手の下から動かずにいなさい。
「へりくだる」とは、事さらに「自己卑下」をすることではありません。また「すべてを自分のせい」にすることでもありません。
「へりくだり」とは、自分の力で「状況をコントロールしないこと」です。たとえ状況が不利になったとしても「神の力強い御手の下に居続けること」です。
そうして、神が「ちょうど良い時」に必ず「高く上げてくださる」と信じることです。
「へりくだらされる」ことも「高く上げる」ことも、どちらも「主の力強い御手」によって行われるのです。
ただ信じなさい。主の御手が力強いということを。
そして、その御手の下に留まりなさい。
そうすれば、神の定められた時に、あなたは高く上げられます。
主の御手は力強いことを信じます
私は主の御手の下に留まります
主が必ず引き上げてくださいます

