2026.6.20 岩に建てるシリーズ「聖霊の学び」を追加

No.623 主に「知られている」ことが重要なのです

二人の会話

マタイ7:23
しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。「わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから遠く離れて行け。」

知らないと言われます

終わりの日に人々は言います。

マタイ7:22
その日には多くの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。」

多くの人が愕然とするでしょう。彼らはイエス様を「主よ」と呼びながら生きてきました。

彼らは「イエス様の御名」を用いて生きて来たのです。彼らは、積極的に「弟子」として歩んだつもりなのです。「奇跡」とは、別訳では「力あるわざ」です。彼らは「力あるわざ」を行って生きて来たのです。

しかし「そのとき」、主は彼らに言われます。

マタイ7:23
しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。「わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから遠く離れて行け。」

これは、とても恐ろしい聖句ですね。

「はっきりと」とは「公に明言する」という意味です。つまり、イエス様は彼らを「全く知らない」と「宣言」されるということです。

イエス様に訴えている人々は、自分たちは「主を知っている」と思っていたでしょう。実際に、彼らは「イエスの御名」を用いて御業を行ってきたのです。

彼らは当然「主に知られている」と思っていたでしょう。彼らは、思い出してもらおうとして「自分の行い」を並べ立てますが、主は彼らを「全く知らない」と言われます。

つまり、私たちの「行い」と「主に知られること」とは関係がないのです。

最も重要なことは「主に知られること」です。

この「知る」とは、ただの知識を表す語ではありません。それは、「経験的・体験的に知る」「深く知る」という意味です。

「全く知らない」とは「一度も知ったことがない」という意味です。主は、彼らに「おまえとは、一度も深く交わったことがない」と言っておられるのです。

覚えてください。

終わりの日、有効なのは「主に知られていること」です。あなたが「地上で働いた証拠」をいくら並べ立てても、イエス様は決して微笑んではくださらないでしょう。

天においても地においても、最も重要なことは「主に知られること」です。それも「体験的に知られている」ことです。表面的な「交わり」ではなく「深く極みまで知ってもらう」ことです。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「大いなるみわざ」を心から求めましょう。私は、あなたに預言を語り、悪霊を追い出し、奇跡を行って欲しいと思います。

しかし、それは「御国に受け入れられる理由」にはなりません。

私たちは、何よりも「主に知られること」を求めなければなりません。

あなたが心を開いて祈るなら、主は聞いてくださいます。

詩篇139:23~24
神よ 私を探り 私の心を知ってください。私を調べ 私の思い煩いを知ってください。私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。

あなたの求める声を、主は待っておられます。

あなたを「知ること」こそ、主の喜びなのです。主は、あなたを微笑んで迎えてくださいます。

「主よ、私を知ってください」とは、人がささげ得る最高の祈りであると私は思います。

主よ、私を知ってください
聖霊様が、私のうちを探ってくださいますように
私は主に心を開きます