No.666 見張り人のすべきこと その②

昼も夜も黙り込まない

エペソ6:18
あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚まして、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

忍耐の限りを尽くすのです

目を覚ましていることは「見張り人の役目」です。

私たちは、キリスト・イエスの立派な兵士として召されています。

私たちは、キリストの兵士として「神の武具」を身に着け、みことばの剣を手にとり「見張り」を行うのです。

パウロは言います。

「目を覚まして、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい」

私たちは、目を覚まして「すべての聖徒のため」に祈りましょう。

「忍耐の限り」を尽くして祈りましょう。

「忍耐の限り」とは「忍耐」「執着」「たゆまぬ継続」などと訳すこともできます。

原語では「προσκαρτερήσει(プロスカルテーレーセイ)」です。新約聖書の中では、このエペソ6章18節にしか登場しません。

パウロは、見張り人の「祈り」を説明するのに、わざわざ「忍耐の限り(プロスカルテーレーセイ)」という言葉を用いたのです。

この言葉は「受け身的な忍耐」という意味ではありません。つまり「じっと我慢する」「歯を食いしばって耐え忍ぶ」というようなイメージではないのです。

この言葉は「積極的な忍耐」を意味します。

自分から「しがみつく」しかも「粘り強くしがみつく」というようなイメージです。

標的から目を離さない見張り人の姿、「ピタッと」狙いを定めて動かない見張り人の姿を表しています。

キリストの兵士に求められる特質は「忍耐」です。それもただの忍耐ではなく「不屈の忍耐」です。

祈りの応えが、まだ眼に見える形で与えられていないとしても、決して失望することはないということです。神は御言葉の約束を決してお破りにならない方ですから、まだその成就が与えられていないということは、主はこれから応えようとしておられるということです。
ですから、みなさん、さらに継続して忍耐強く主を待ち望もうではありませんか。これには神の栄光がかかっているのですから、主イエス・キリストの御名によって、神に希望を置き続けるのです。
祈りの力 ジョージ・ミュラー著 マルコーシュ・パブリケーション

愛する兄弟姉妹。

決して、あきらめてはなりません。

「あきらめる」とは「信頼するのをやめる」と言うことです。

私たちは、粘り強く祈り続けます。私たちは、ただ「主にしがみつき続ける」のです。

私たちは、キリスト・イエスの立派な兵士です。

忠実に「見張り」を続ける者でありましょう。

私はキリスト・イエスの兵士です
私はあきあめません
私は決して失望に終わることはありません