ホセア2:14
それゆえ、見よ。わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って、優しく彼女に語ろう。
荒野に誘って
主は、人を「荒野に誘われる」のです。
「荒野」とは、ヘブル語で「ミドバル」と言います。これは「ダバル(追いやる)」という語から派生した言葉です。人里から離れるというのが本来のニュアンスです。そして、また「ダバル」には「語る」という意味もあるのです。
主は、なぜ人を荒野に誘われるのでしょう?
なぜ、私たちは人生において「荒野」を経験するのでしょう。
荒野とは不毛の地です。水を探すのさえ苦労する場所です。そこでは人間の権力や名声は役に立ちません。
そこでは「ただ生きること」しかできません。つまり、言い換えれば、あなたの気を散らすものは何もないということです。
もし、今、何の実りも感じられないと思うなら…
何をしても堂々巡りだと思うなら…
何をすればいいのか分からないと葛藤しているなら…
それは、もしかすると、主があなたを荒野に誘っておられるのかもしれません。
主は、そこで「優しく語ろう」としておられるのです。
「優しく語ろう」を直訳すると「その心に語ろう」です。
それは、ただ優しく穏やかに語るということではありません。
主は、あなたの「心」に語りたいと望んでおられるのです。「頭」ではありません。「心」に語られるのです。
ですから、荒野では静かにしていなさい。
「どうすればいいのか?」と頭で考えることはやめなさい。
「なぜ、こんなことになったのか」と叫び続けるのはやめなさい。
「どうして荒野に誘われたのか」と不平を言うのはやめなさい。
主が「語られる」のです。主の御声を聞きなさい。
主は、あなたの「心」に語られます。
あなたは、荒野で「考えても考えてもわからなかったこと」を悟るようになります。
あなたは、荒野で「心の底からの回復」を経験するでしょう。
なぜなら、そこでは「主が与えてくださる水」を飲むからです。
あなたは知るでしょう。本当の「いのちの水」の力を。
イエス様も聖霊によって荒野に導かれました。そして、御霊の力を帯びられたのです。
モーセは荒野で羊を飼いました。そこで、燃えないシバの中から、主の御声を聞いたのです。
あなたも、必ず、荒野で「主に出会い」ます。
主は、必ず、あなたの心に語りかけてくださいます。
荒野の経験は、永遠には続きません。必ず終わりが来ます。
主は、荒野で「あなたの心」を完全にご自身のものとされます。
そして、その期間が終わる時、あなたは「主の心」を抱くようになるのです。
荒野で語られる方を感謝します
主よ、私の心にお語りください
たた静まって、あなたを待ちます

