エペソ1:18
また、あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
心の目がはっきりと見えるように
つまり、心の目というものがあるのです。
それは、言い換えると「識別力」とか「理解力」ということになるのかもしれません。
けれど、それ以上のものであると私は信じています。
私たちは「心の目」によって「見えないものを見る」ことができるのだと私は信じます。
私は、毎週、礼拝のたびに「エペソ1:17~19」を祈っています。しかし、本気でそう信じて祈っているだろうかと思うのです。ただ「みことば」を反復していることで満足していて、心から「願って」いないのではないかと思うのです。
イエス様は、目の見えない人たちの呼ぶ声に答えて言われました。
イエス様は、彼らの目を開かれる前に「わたしにそれができると信じるのか」と尋ねられました。
彼らは、迷うことなく答えます。「はい、主よ」と。
イエス様は「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われました。
ここで「信仰」と訳されている語には、原文では「定冠詞」がついていますから、彼らの「その信仰」ということです。
彼らが「イエス様にはできる」と信じた「その信仰」のとおりになるように…
そして「その信仰のとおりに」彼らの目は開かれたのです。
私は、心から「見えないものを見たい」と願います。見えないものが「現実である」ことを確信したいのです。
主は、今、私にも同じように尋ねられます。
「おまえは、わたしにそれができると信じるのか」
イエス様は「信仰」があるかどうかを確認されます。私が「それを信じているのか」を確認されるのです。
なぜなら「その信仰のとおり」になるからです。
私は、自分の心を奮い立たせて願います。
「主よ、どうか私の心の目をはっきりと見えるようにしてください」
そうすれば、主が、御手を置いて言ってくださると信じます。
「あなたの信仰のとおりになれ」
主は、必ず、私の心の目を開いてくださいます。私は「見えないものを確信して」「見えない方を見るようにして」歩むことができるのです。
神の召しによる望みがどれほど素晴らしいか…
聖徒の受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか…
神のすぐれた力が、どれほど偉大であるか…
私たちは、必ずそれを知ることができます。
主よ、心の目を開いてください
はっきり見えるようになりたいのです
私の信仰のとおりになります

