No.644 わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです

待ち望む猫

ヨハネ5:30
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。

正しい判断をするために

イエス様は、ご自身の「さばきは正しい」と言われました。

「さばき」と訳されている語は「ふるいにかけて区別する」という意味です。

イエス様は「様々な事柄」の中から「正しいこと」を「より分けて選ぶ」ことがお出来になります。

イエス様は絶対に騙されません。イエス様は決して間違った判断を下されません。

「そんなこと、神様なのだから当たり前だ」とあなたは思うでしょうか?

しかし、イエス様は地上に生きておられたとき「神のあり方」を捨てておられたのです。

主は言われます。

「わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです」

イエス様の「さばき」「判断」が常に正しいのは「ご自身を遣わされた方のみこころ」を求めておられたからです。

主イエスは、ご自身の「思うところ」によって判断されることはありませんでした。そこに、ご自身の「考え」を挟むことはされなかったのです。

「正しい判断」をしたいと望むなら「自分からは何も行わない」と決断することです。

「物事を見極めたい」と思うなら、切に「神のみこころ」を追い求めることです。

なぜなら「見えるところ」は「すべて」ではないからです。私たちは常に「知るべきほどのこともまだ知っていない」のです。

「判断してやろう」「見極めてやろう」と思ってはなりません。そうすると、「物と事」や「その人」に意識を集中してしまうからです。

見つめるべきは、いつも「主イエス・キリスト」であり、求めるべきは「神のみこころ」なのです。

もし、あなたが「神のみこころ」だけを追い求めるならば「正しい判断」を得ることができます。

けれど、恐らく、周囲の人々から「あなたは間違っている」「あなたは偏っている」などと言われるでしょう。もしかすると「愛がない」などと言われるかもしれません。逆に「寄り添い過ぎだ」などと言われることもあるでしょう。

しかし、恐れたり、ひるんだりしないでいましょう。

ヨハネ5:30
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。

私たちも「自分の意志」をささげて歩みましょう。

イエス様から目を離さないでいましょう。みこころを追い求め続けましょう。

主イエスが「意志」を委ねられたのですから、私たちも自分の意志を委ねるのです。

そうすれば、私たちも「すべてのことを判断」できるでしょう。

なぜなら、主の御足の跡を行く私たちは「キリストの心」を持っているのですから。

主よ、私の意志をお献げします
何に対しても勝手なさばきを下しません
主よ、あなたのみこころを切に求めます