伝道者の書12:13
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
それがすべてなのです
「神を恐れよ」と聖書は言います。
では「神を恐れる」とはどういう意味なのでしょうか。
ここで「恐れよ」と訳されている語は「イラー(יְרָא)」です。これは、とても訳しにくい言葉です。新改訳では、たいてい「恐れよ」と訳されています。
そこには「恐怖」という意味も含まれます。けれど、それだけではない「畏敬の念」という意味もあるのです。
「神を恐れよ」と聖書が言うとき、それは「畏敬の念」を含んでいるのは確実です。しかし「畏敬」という言葉でも意味を言い表すことはできません。
C・Sルイスは、ナルニア国物語の中で面白い表現をしています。
危険か、安全かなどと言うことは、問題にならないんですよ。しいて申し上げれば、もちろん、あの方は安全ではありません。けれども、よい方なんです。
ライオンと魔女 C・S・ルイス著 瀬田貞二訳 岩波少年文庫
主への恐れを表現することは、とても難しいですね。
ある人は「断崖絶壁の上に立ち、恐ろしさに足は震えるけれど、目の前に広がる光景の美しさに身を乗り出さずにはいられない」という気持ちにに似ていると言います。
また、ある人は「恐ろしく圧倒されているが、そのあまりの美しさに魅了されている状態」などと言います。
これはとても説明できません。しかし、自分の心を「覗いて」みてください。胸に手を置き、少し考えてみるならば分かるでしょう。
あなたは「主への恐れ」を知っているはずです。
これは、聖霊様の働きのリストです。
聖霊は、私たちに「知恵と悟り」を与えるだけではなく「主を恐れる」ことをも与えてくださいます。
私たちは、聖霊によって「本当に主を恐れること」を知ります。
世の人々は「神を恐怖」するでしょう。神の御怒りの日は彼らにとって「恐怖そのもの」です。
しかし、聖徒が「神を恐れる」とき、それは「神の深み」へと招かれることです。
もちろん、それは、しいて言えば安全ではありません。旧約の時代、至聖所に入る大祭司は命がけでした。聖所での奉仕には細心の注意が必要だったのです。
しかし、私たちにとって「危険か、安全かなどと言うことは、問題にならない」でしょう?
たとえ、そこが「断崖絶壁」であったとしても、向こう側に広がる光景を見たいと思うでしょう?
聖霊様が「神の深み」を啓示してくださいます。
私たちは「恐れ」ましょう。ただ「主イエスの血」だけにより頼みましょう。
そうして、恐れつつも大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
イエス様の血潮を感謝します
主を恐れることを教えてください
聖霊様が導いてくださいますように

