2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

【黙示録13章14節~18節】また獣はすべての者にその右の手あるいは額に刻印を受けさせた

再臨を待つ

黙示録13:16
また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

偽預言者と反キリストは協力します

患難時代には「獣」と呼ばれる人物が「二人」現れます。

一人は「海から上って来た獣」で、これが「反キリスト」です。

もう一人は「地から上って来た別の獣」で、これが「偽預言者」と呼ばれる人物です。

黙示録13:12
この獣は、最初の獣が持っていた権威を、その獣の前で働かせた。また、地と地に住む者たちに、致命的な傷が治った最初の獣を拝ませた。

「竜」と「反キリスト」そして「偽預言者」は、どのような経緯でかは分かりませんが「一致」して働くようになります。彼らの心は「一つ」です。お互いの思惑が常に一致しているようです。

また17章に入ったときに学びますが、彼らは「大淫婦」と呼ばれる大きな都と手を結びますが、その「大淫婦」をやがて憎み食い殺すと言われます。

しかし、「反キリスト」と「偽預言者」は、最後の最後まで一緒です。彼らは同時に「硫黄の燃える火の池」に投げ込まれます。

彼らがお互いに思いやり、愛し合っているとは思えません。しかし、彼らのうちにある「思い」「目的」は常に一致していて、そのためならば力を合わせることが可能だということでしょうか。

私は、そこに「サタンの王国の構造」が見えるように思います。

エペソ6:12
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

日本語の訳では少し分かりにくいのですが…

パウロは、ここで「悪霊の階層」もしくは「悪霊の階級」について述べているのです。

「支配」や「力」と訳されているので、そこに何か「思考する存在」がいるようには思えないかもしれません。けれど、原語では「階級」を示す語が用いられています。

つまり「支配」という概念ではなく「支配する何か」が存在するということです。

「支配」とは「司令官のような背後にいる大きな存在」のことです。そして「力」とは「その配下にいる実行役、執行者のような存在」のことです。その次に「この暗闇の世界の支配者たち」そして「天上にいるもろもろの悪霊」が存在するのです。

まあ、エペソ書の学びではないので詳しくは説明しませんが…

ただ悪霊たちが「無秩序」に働いているわけではないということは理解できますね。私たちの戦いは「血肉に対するもの」ではありません。目に見えない悪霊が存在することを私たちは知っています。

ですから、覚えていなければなりません。

私たちの敵は「個人的に思うまま気ままに攻撃を仕掛けてくるわけではない」ということを。

「反キリスト」と「偽預言者」が協力して働くように、悪霊たちは「連携」して働くことができるのです。悪霊たちは「権威」に従って働きます。完全にトップダウン方式です。彼らは「秩序正しく」働きます。

それは、何を意味するのでしょう?

それは「彼らには作戦がある」と言うことです。目に見えない敵たちは、むやみやたらに攻撃しているのではありません。

彼らには「策略」がちゃんとあるのです。

敵は、あなたを「神から離そう」という目的を持っています。それは「全悪霊共通の目的」です。そして、そのことに対して「策略」を練っています。何をすれば効果的に「神から引き離せるか」を考えているのです。そして、その作戦を実行してきます。

Ⅱコリント2:11
それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

パウロは「サタンには策略がある」と言っています。そして、パウロは「サタンの策略」を知っているのです。

私たちはどうでしょう?

私たちは「サタンに策略がある」ことを認識しているでしょうか。

そして、その「策略」がどのように実行されるのか知っているでしょうか。

霊の戦いなんて「気の重い」話ですよね。けれど、それは「避けられないもの」です。

あなたが「いや、私には戦う意志はないから」と言っても、敵がそれで「攻撃」をやめるということはありません。戦わなければ「打たれっぱなし」になるだけです。

残念なことに。この地に生きている限り「戦いが終わる」ことはありません。患難時代において「戦いが激化」していることを私たちは見ます。

確かに、敵は「策略」を持っています。権威に従って作戦を実行してきます。

しかし、私たちには「万軍の主」がおられます。「戦いに長けた勝利の主」がおられます。

聖霊様によって「識別する力」を働かせることができますように。聖霊様の導きによって「祈り」「宣言」することができますように。

敵に「策略」があることを忘れないでください。

敵は「無秩序」ではないのです。

私たちは「思いつくまま」「気の向くまま」に宣言するのではなく、聖霊の導きによって「最も効果的な宣言」をする必要があります。

私たちは愛を基礎とした「あらゆる識別力」を求めましょう。キリストの立派な兵士として一緒に立ち上がり前進しましょう。

偽預言者は「反キリスト」を拝ませます

悪霊どもは「策略」を持っています。彼らには「人を神から離す」という大きな目的があります。

偽預言者も「竜の心」を持っていますから、その目的を遂行します。

人を「神から離す」ために最も効果的なことは「別の何かを心に入れること」です。

私たちは「自分が崇拝するもの」を心の中心に据えるのです。意識して「中心に置く」ことをせずとも「ひれ伏し」さえすれば自動的に据えられます。

私たちは「ひれ伏す対象」の「奴隷」となるのです。

ローマ6:16
あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。

それは「形のある偶像」のことだけではありません。目には見えなくても、私たちを魅了するものは数多くあります。

ある人は「何らかの嗜好品」がなければ生きていけないと思うかもしれません。ある人にとってそれは「スマホ」かもしれません。

多くの人の心の中心には「神」ではなく「富」が据えられています。もし「お金がなければ生きていけない」と不安を感じるならば「中心」を見直す必要があるでしょう。

ある人にとっては「知識」や「賜物」すらも偶像となってしまいます。

悪しき者は、私たちの「弱さ」や「欲」を知っています。あなたの心の中心を知らない間に「盗み」ます。

外側ではいつもと同じように、主を礼拝しながら、心の中に「別のもの」を据えることは可能なのです。

ですから、常に「心を見張る」ことです。

私たちは、ただ主だけにひれ伏します。ただ主だけを「心の中心に据え」ます。私たちは、みことばを思いめぐらせ「心」を守ります。あなたの「心の中心」を何にも奪われてはなりません。手も心も、ただ主だけに向かって上げましょう。

「地から上って来た獣」つまり「偽預言者」は「最初の獣」を拝ませます。

黙示録13:14
また、この獣は、あの獣の前で行うことが許されたしるしによって、地に住む者たちを惑わし、剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像を造るように、地に住む者たちに命じた。

サタンは、大患難時代には「その正体」を公に現わすようになります。

もはや「策略」は隠れてはいません。

世界中の人々が「剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像」を造るようになります。それは「命令」なのです。

今もし、そのような命令が政府から発せられたら、多くの人が「信教の自由の妨害だ」などと言って騒ぎ立てるでしょう。

しかし、おそらく偽預言者の「命令」は、そのような抵抗を受けることなく「あっさり」と受け入れられるのではないかと私は考えます。

それこそ「惑わし」の力だと思うのです。

全世界が「惑わされ」ます。偽預言者は巧妙に語ります。全世界の人の「心」に獣が座る時代が来るのです。そして、それは同時に「竜」が全世界の中心になるということです。

黙示録13:15
それから、その獣の像に息を吹きこんで、獣の像がものを言うことさえできるようにした。また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

獣たちは、創造主の真似をしたいのです。自分たちを創造主の立場に置きたいのです。それらは「惑わし」です。まことの主なる神以外に「無から有を生じさせる」ことはできません。いのちの御霊だけが「いのち」を生み出せるのです。

しかし、偽預言者は「造られた像」に息を吹き込みものを言うことができるようにします。

まあ、ひと昔前なら「いったい何が起こるのか」と、いろいろ想像を巡らしてメッセージを長引かせることもできましたが(笑)

今の時代「像」がものを言うなんて珍しい現象ではありません。そこかしこで「いのちのない物」が言葉を発しています。

使徒ヨハネが、この幻を見たときは、とんでもなく驚いただろうと思います。けれど、今は、それが「実現している」時代なのです。今、私たちは「どうやって実現するのか」などと言いませんね。「どの技術を用いるのだろう?」と言うでしょう。今あるものより、もっと最新の技術を使うのかもしれませんが「獣の像」がものを言ったからと言って特別驚くようなことはありません。

「最初の獣」は、剣の傷を受け生き返りました。生き返ったように見えるのです。全世界の英雄として「像」が造られます。そして、その像は「ものを言う像」です。

人々は、その像を拝みます。それは「強制」ですが、ほとんどの人は抵抗なく拝むでしょう。

しかし、その像を決して拝まない人々がいます。

その時代の聖徒たちは、その像にひれ伏すことを拒否します。彼らの心の中心には「イエス・キリスト」だけが据えられているからです。

このとき、多くの聖徒が殉教するのです。

全世界が獣の刻印を受けます

終わりの時代、サタンは人々の「身も心も」支配しようとします。

人々は「獣の刻印」を受けることを強要されます。

黙示録13:16
また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

私はつくづくサタンは「粘着質」だなぁと思うのです。彼の性質は「疑い深く執着心が強くねちっこい」ように思います。

サタンは、人に「しるし」をつけたいのでしょう。人々に「刻印」を受けさせるとは「自分の所有」であることを確かにするためです。

黙示録13:17
また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またその名が表す数字である。

全世界の「小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも」刻印が刻まれます。その刻印とは「獣の名」もしくは「その名が表す数字」です。

「獣」つまり「反キリスト」は、自分の「名」を全世界の人に刻印させます。それは全世界が「反キリスト」のものであるという「しるし」です。「獣の刻印」を持つ人は「獣の所有」とされた人です。

さて、この「刻印」が何であるかという話は省略します。「獣の像がものを言う」ことと同じように「刻印」も珍しい話ではなくなったからです。正直に言えば、私は、この手の話にまったく詳しくないからです(笑)

個人的には「何が刻印か」については、あまり興味がありません。別に「バイオチップ」だろうと「QRコード」だろうと何が用いられても結果は変わらないしなと思うのです。

私が「右手と額」にしか組み込めないバイオチップの話を聞いたのは、約30年ほど前の話です。当時は、非常に驚きました。「これこそが反キリストが用いる刻印に違いない」と興奮したものです。

まあ、それが本当に「刻印」として用いられる技術なのかは分かりませんが…

ただ一つ言えることは、反キリストが用いる「刻印」はすでに完成しているだろうということです。

黙示録13:18
ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから、その数字とは六六六である。」

「獣」の数字が「666」であることは有名な話ですね。「666」だけが独り歩きしているようにも思えます。

「666」の数字を数えることは可能だろうと私は思います。

しかし私は、この「ゲマトリア」つまり文字が持つ数値について詳しくありません。数字を見ると拒否反応が出る体質なのです(笑)

ギリシャ語は(ヘブル語も同じだが)アルファベットが数字を表しますので、この六六六という文字を並べてネロ皇帝だとか、カトリックではルターにあてはめたり、いろいろやりますが、そんな無駄はやめましょう。これは、これから出現する人物なのですから。

J・Pラブによると、アルファベットのそれぞれの文字が数値を持っているので、どんな名前の「数値」でも算定することができたのである。

世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション

ここには「知恵」と「思慮」が必要です。

「知恵」とは、神様から与えられる洞察力です。このことの背後にあるものを見抜く知恵が必要なのです。それは、一般的な「賢さ」つまり「賢者の知恵」では分からないものだということです。

そして「思慮ある者」はそれを数えなさいと言われます。

「思慮ある者」とは、理性的な手段を用いることのできる人のことです。ここでは、分別のある考え方ができ、実際に計算できる人のことを表すのだと私は理解しています。

終わりの時代を生き抜くために必要なことは「知恵と思慮」であると私は思います。

Ⅰコリント2:8
この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

「この知恵」とは「隠された神の知恵」のことです。

この世の偉い人々にも、賢い人々にも「神の隠された知恵」は分かりません。終わりの日、この世を支配する「反キリスト」にも「隠された神の知恵」は分からないのです。

「十字架のことば」は、滅びに至る者には「愚か」にしか見えないでしょう。しかし、私たちはそこに「神の救い」を見ます。私たちは「家を建てる者たちが捨てた石こそ礎の石である」ことを知っています。

神の知恵に依り頼みましょう。私たちは常に「知らなければならないほどのことも知ってはいない」ことを忘れてはなりません。「神の隠された知恵」でしか開かれない啓示があるのです。

隠された神の知恵に依り頼みつつ「思慮深く」歩みましょう。

主がこの御言葉によって「本当は何を教えておられるのか」を追い求めたいと私は思うのです。

最も重要なことは「666」が「人間の名」を表すという事実です。「反キリスト」は当然のことながら「人間」なのですね。恐ろしく悪魔的なこの人物が「人間」なのだと思うと、今さらながら恐ろしさが増します。

世界中が「獣の名」を刻印され、全世界の人々が「獣の所有」と宣言される恐ろしさを考えてみてください。

「獣の名」を刻むことは「獣の所有」となることです。

世界は「反キリスト」が登場する舞台を整えています。それは確かなことです。

神様が定められたとおりに「すべて」が成ります。使徒ヨハネが見た幻が「実現する日」は必ず来ます。そして、それは近いのだろうと感じています。

大切なことは「刻印が何か」ではなく、その「刻印を受ける流れ」に自分が乗っていないかどうか確認することです。

大切なことは「666」が誰かを知ることではなく「獣の所有」とされないことです。

さて、少し長くなりましたね。この続きは次回に持ち越したいと思います。

次回はこの続きを少しだけしてから黙示録14章に入りたいと思います。

シャロームを祈ります。