黙示録13:16
また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。
偽預言者と反キリストは協力します
患難時代には「獣」と呼ばれる人物が「二人」現れます。
一人は「海から上って来た獣」で、これが「反キリスト」です。
もう一人は「地から上って来た別の獣」で、これが「偽預言者」と呼ばれる人物です。
「竜」と「反キリスト」そして「偽預言者」は、どのような経緯でかは分かりませんが「一致」して働くようになります。彼らの心は「一つ」です。お互いの思惑が常に一致しているようです。
また17章に入ったときに学びますが、彼らは「大淫婦」と呼ばれる大きな都と手を結びますが、その「大淫婦」をやがて憎み食い殺すと言われます。
しかし、「反キリスト」と「偽預言者」は、最後の最後まで一緒です。彼らは同時に「硫黄の燃える火の池」に投げ込まれます。
彼らがお互いに思いやり、愛し合っているとは思えません。しかし、彼らのうちにある「思い」「目的」は常に一致していて、そのためならば力を合わせることが可能だということでしょうか。
私は、そこに「サタンの王国の構造」が見えるように思います。
日本語の訳では少し分かりにくいのですが…
パウロは、ここで「悪霊の階層」もしくは「悪霊の階級」について述べているのです。
「支配」や「力」と訳されているので、そこに何か「思考する存在」がいるようには思えないかもしれません。けれど、原語では「階級」を示す語が用いられています。
つまり「支配」という概念ではなく「支配する何か」が存在するということです。
「支配」とは「司令官のような背後にいる大きな存在」のことです。そして「力」とは「その配下にいる実行役、執行者のような存在」のことです。その次に「この暗闇の世界の支配者たち」そして「天上にいるもろもろの悪霊」が存在するのです。
まあ、エペソ書の学びではないので詳しくは説明しませんが…
ただ悪霊たちが「無秩序」に働いているわけではないということは理解できますね。私たちの戦いは「血肉に対するもの」ではありません。目に見えない悪霊が存在することを私たちは知っています。
ですから、覚えていなければなりません。
私たちの敵は「個人的に思うまま気ままに攻撃を仕掛けてくるわけではない」ということを。
「反キリスト」と「偽預言者」が協力して働くように、悪霊たちは「連携」して働くことができるのです。悪霊たちは「権威」に従って働きます。完全にトップダウン方式です。彼らは「秩序正しく」働きます。
それは、何を意味するのでしょう?
それは「彼らには作戦がある」と言うことです。目に見えない敵たちは、むやみやたらに攻撃しているのではありません。
彼らには「策略」がちゃんとあるのです。
敵は、あなたを「神から離そう」という目的を持っています。それは「全悪霊共通の目的」です。そして、そのことに対して「策略」を練っています。何をすれば効果的に「神から引き離せるか」を考えているのです。そして、その作戦を実行してきます。
パウロは「サタンには策略がある」と言っています。そして、パウロは「サタンの策略」を知っているのです。
私たちはどうでしょう?
私たちは「サタンに策略がある」ことを認識しているでしょうか。
そして、その「策略」がどのように実行されるのか知っているでしょうか。
霊の戦いなんて「気の重い」話ですよね。けれど、それは「避けられないもの」です。
あなたが「いや、私には戦う意志はないから」と言っても、敵がそれで「攻撃」をやめるということはありません。戦わなければ「打たれっぱなし」になるだけです。
残念なことに。この地に生きている限り「戦いが終わる」ことはありません。患難時代において「戦いが激化」していることを私たちは見ます。
確かに、敵は「策略」を持っています。権威に従って作戦を実行してきます。
しかし、私たちには「万軍の主」がおられます。「戦いに長けた勝利の主」がおられます。
聖霊様によって「識別する力」を働かせることができますように。聖霊様の導きによって「祈り」「宣言」することができますように。
敵に「策略」があることを忘れないでください。
敵は「無秩序」ではないのです。
私たちは「思いつくまま」「気の向くまま」に宣言するのではなく、聖霊の導きによって「最も効果的な宣言」をする必要があります。
私たちは愛を基礎とした「あらゆる識別力」を求めましょう。キリストの立派な兵士として一緒に立ち上がり前進しましょう。
偽預言者は「反キリスト」を拝ませます
悪霊どもは「策略」を持っています。彼らには「人を神から離す」という大きな目的があります。
偽預言者も「竜の心」を持っていますから、その目的を遂行します。
人を「神から離す」ために最も効果的なことは「別の何かを心に入れること」です。
私たちは「自分が崇拝するもの」を心の中心に据えるのです。意識して「中心に置く」ことをせずとも「ひれ伏し」さえすれば自動的に据えられます。
私たちは「ひれ伏す対象」の「奴隷」となるのです。
それは「形のある偶像」のことだけではありません。目には見えなくても、私たちを魅了するものは数多くあります。
ある人は「何らかの嗜好品」がなければ生きていけないと思うかもしれません。ある人にとってそれは「スマホ」かもしれません。
多くの人の心の中心には「神」ではなく「富」が据えられています。もし「お金がなければ生きていけない」と不安を感じるならば「中心」を見直す必要があるでしょう。
ある人にとっては「知識」や「賜物」すらも偶像となってしまいます。
悪しき者は、私たちの「弱さ」や「欲」を知っています。あなたの心の中心を知らない間に「盗み」ます。
外側ではいつもと同じように、主を礼拝しながら、心の中に「別のもの」を据えることは可能なのです。
ですから、常に「心を見張る」ことです。
私たちは、ただ主だけにひれ伏します。ただ主だけを「心の中心に据え」ます。私たちは、みことばを思いめぐらせ「心」を守ります。あなたの「心の中心」を何にも奪われてはなりません。手も心も、ただ主だけに向かって上げましょう。
「地から上って来た獣」つまり「偽預言者」は「最初の獣」を拝ませます。
サタンは、大患難時代には「その正体」を公に現わすようになります。
もはや「策略」は隠れてはいません。
世界中の人々が「剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像」を造るようになります。それは「命令」なのです。
今もし、そのような命令が政府から発せられたら、多くの人が「信教の自由の妨害だ」などと言って騒ぎ立てるでしょう。
しかし、おそらく偽預言者の「命令」は、そのような抵抗を受けることなく「あっさり」と受け入れられるのではないかと私は考えます。
それこそ「惑わし」の力だと思うのです。
全世界が「惑わされ」ます。偽預言者は巧妙に語ります。全世界の人の「心」に獣が座る時代が来るのです。そして、それは同時に「竜」が全世界の中心になるということです。
獣たちは、創造主の真似をしたいのです。自分たちを創造主の立場に置きたいのです。それらは「惑わし」です。まことの主なる神以外に「無から有を生じさせる」ことはできません。いのちの御霊だけが「いのち」を生み出せるのです。
しかし、偽預言者は「造られた像」に息を吹き込みものを言うことができるようにします。
まあ、ひと昔前なら「いったい何が起こるのか」と、いろいろ想像を巡らしてメッセージを長引かせることもできましたが(笑)
今の時代「像」がものを言うなんて珍しい現象ではありません。そこかしこで「いのちのない物」が言葉を発しています。
使徒ヨハネが、この幻を見たときは、とんでもなく驚いただろうと思います。けれど、今は、それが「実現している」時代なのです。今、私たちは「どうやって実現するのか」などと言いませんね。「どの技術を用いるのだろう?」と言うでしょう。今あるものより、もっと最新の技術を使うのかもしれませんが「獣の像」がものを言ったからと言って特別驚くようなことはありません。
「最初の獣」は、剣の傷を受け生き返りました。生き返ったように見えるのです。全世界の英雄として「像」が造られます。そして、その像は「ものを言う像」です。
人々は、その像を拝みます。それは「強制」ですが、ほとんどの人は抵抗なく拝むでしょう。
しかし、その像を決して拝まない人々がいます。
その時代の聖徒たちは、その像にひれ伏すことを拒否します。彼らの心の中心には「イエス・キリスト」だけが据えられているからです。
このとき、多くの聖徒が殉教するのです。
全世界が獣の刻印を受けます
終わりの時代、サタンは人々の「身も心も」支配しようとします。
人々は「獣の刻印」を受けることを強要されます。
私はつくづくサタンは「粘着質」だなぁと思うのです。彼の性質は「疑い深く執着心が強くねちっこい」ように思います。
サタンは、人に「しるし」をつけたいのでしょう。人々に「刻印」を受けさせるとは「自分の所有」であることを確かにするためです。
全世界の「小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも」刻印が刻まれます。その刻印とは「獣の名」もしくは「その名が表す数字」です。
「獣」つまり「反キリスト」は、自分の「名」を全世界の人に刻印させます。それは全世界が「反キリスト」のものであるという「しるし」です。「獣の刻印」を持つ人は「獣の所有」とされた人です。
さて、この「刻印」が何であるかという話は省略します。「獣の像がものを言う」ことと同じように「刻印」も珍しい話ではなくなったからです。正直に言えば、私は、この手の話にまったく詳しくないからです(笑)
個人的には「何が刻印か」については、あまり興味がありません。別に「バイオチップ」だろうと「QRコード」だろうと何が用いられても結果は変わらないしなと思うのです。
私が「右手と額」にしか組み込めないバイオチップの話を聞いたのは、約30年ほど前の話です。当時は、非常に驚きました。「これこそが反キリストが用いる刻印に違いない」と興奮したものです。
まあ、それが本当に「刻印」として用いられる技術なのかは分かりませんが…
ただ一つ言えることは、反キリストが用いる「刻印」はすでに完成しているだろうということです。
「獣」の数字が「666」であることは有名な話ですね。「666」だけが独り歩きしているようにも思えます。
「666」の数字を数えることは可能だろうと私は思います。
しかし私は、この「ゲマトリア」つまり文字が持つ数値について詳しくありません。数字を見ると拒否反応が出る体質なのです(笑)
ギリシャ語は(ヘブル語も同じだが)アルファベットが数字を表しますので、この六六六という文字を並べてネロ皇帝だとか、カトリックではルターにあてはめたり、いろいろやりますが、そんな無駄はやめましょう。これは、これから出現する人物なのですから。
J・Pラブによると、アルファベットのそれぞれの文字が数値を持っているので、どんな名前の「数値」でも算定することができたのである。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション
ここには「知恵」と「思慮」が必要です。
「知恵」とは、神様から与えられる洞察力です。このことの背後にあるものを見抜く知恵が必要なのです。それは、一般的な「賢さ」つまり「賢者の知恵」では分からないものだということです。
そして「思慮ある者」はそれを数えなさいと言われます。
「思慮ある者」とは、理性的な手段を用いることのできる人のことです。ここでは、分別のある考え方ができ、実際に計算できる人のことを表すのだと私は理解しています。
終わりの時代を生き抜くために必要なことは「知恵と思慮」であると私は思います。
「この知恵」とは「隠された神の知恵」のことです。
この世の偉い人々にも、賢い人々にも「神の隠された知恵」は分かりません。終わりの日、この世を支配する「反キリスト」にも「隠された神の知恵」は分からないのです。
「十字架のことば」は、滅びに至る者には「愚か」にしか見えないでしょう。しかし、私たちはそこに「神の救い」を見ます。私たちは「家を建てる者たちが捨てた石こそ礎の石である」ことを知っています。
神の知恵に依り頼みましょう。私たちは常に「知らなければならないほどのことも知ってはいない」ことを忘れてはなりません。「神の隠された知恵」でしか開かれない啓示があるのです。
隠された神の知恵に依り頼みつつ「思慮深く」歩みましょう。
主がこの御言葉によって「本当は何を教えておられるのか」を追い求めたいと私は思うのです。
最も重要なことは「666」が「人間の名」を表すという事実です。「反キリスト」は当然のことながら「人間」なのですね。恐ろしく悪魔的なこの人物が「人間」なのだと思うと、今さらながら恐ろしさが増します。
世界中が「獣の名」を刻印され、全世界の人々が「獣の所有」と宣言される恐ろしさを考えてみてください。
「獣の名」を刻むことは「獣の所有」となることです。
世界は「反キリスト」が登場する舞台を整えています。それは確かなことです。
神様が定められたとおりに「すべて」が成ります。使徒ヨハネが見た幻が「実現する日」は必ず来ます。そして、それは近いのだろうと感じています。
大切なことは「刻印が何か」ではなく、その「刻印を受ける流れ」に自分が乗っていないかどうか確認することです。
大切なことは「666」が誰かを知ることではなく「獣の所有」とされないことです。
さて、少し長くなりましたね。この続きは次回に持ち越したいと思います。
次回はこの続きを少しだけしてから黙示録14章に入りたいと思います。
シャロームを祈ります。

