マタイ17:20
イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」
弟子たちにはできなかったのです
弟子たちは面目を失いました。
この父親は、息子を病から救って欲しかったのです。しかし、イエス様は山上に行っておられ、そこには弟子たちしかいませんでした。
弟子たちは、以前、伝道旅行に遣わされたとき、病を癒し、悪霊を追い出したことがありました。彼らは意気揚々と試みたと私は思います。
しかし、何度命令しても、手を置いて祈っても、てんかんは治りませんでした。
そこにイエス様が戻られ、彼らに状況をお尋ねになったのです。
父親は正直に「お弟子たちには治すことができませんでした」とイエス様に告げました。
弟子たちは、それをどんな思いで聞いたでしょうか。
私は、この箇所を読むと、まるで自分のことを報告されている気がします。
もし、今、このような親子が助けを求めて来たなら、私はどうするだろうかと想像します。
「そっとイエスのもとに来て」というところに弟子たちの気持ちがあらわれていますね。
彼らは、自分たちの不甲斐なさを痛感していました。面目ないと思っていたのです。
主よ、それは私も同じです。私も弟子たちと同じように尋ねたいのです。
「主よ、なぜ私にはできないのですか?」
イエス様は答えてくださいました。
「あなたがたの信仰が薄いからです」
手を置けば病人は癒されると聖書に書いてあるのに、私が手を置いても癒されない…
それは、私の「信仰が薄い」からなのです。
イエス様は、弟子たちに「あなたがたは信仰がない」とは言われませんでした。「信仰が少ない」とも言われませんでした。ただ「信仰が薄い」と言われたのです。
弟子たちには信仰がありました。彼らは実際「悪霊を追い出した経験」があるのです。
けれど、この日、彼らは信仰を「薄めて」しまったのです。信仰に「何か別のもの」を混ぜ合わせてしまったのです。
それは「うまくいかなかったらどうしよう」という不安だったかもしれません。または逆に「うまくやって、山に登っている奴らに自慢してやろう」という高慢だったかもしれません。
とにかく、信仰に「何かを混ぜ合わせて薄めて」しまったのは確かです。
癒しを行いたいなら、まず「信仰を薄めているもの」を取り除くことです。
純粋な混ぜものなしの信仰ならば、たとえ「からし種」ほどであっても山が動きます。
あなたにできないことは何もないのです。
主よ、薄めているものを取り除いてください
主よ、あなたを信じます
私にできないことは何もありません

