2026.6.20 岩に建てるシリーズ「聖霊の学び」を追加

No.621 あふれるばかり過剰なほどに与えられるのです

手を叩いて喜ぶ子

ヨハネ10:10
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

それは豊かないのちです

イエス様は「盗人が来るのは」と言われました。

「盗人が来るかもしれない」とは言われませんでした。

盗人は「来る」のです。いえ、すでに「来ている」のです。

盗人は、もちろん「盗む」ために来るのです。

あなたは、何か盗まれたものはありませんか?

敵は、隙あらば、あなたから「何か」を盗もうとしています。

それは「時間」かもしれません。「健康」かもしれません。「経済」かもしれないし「夢」かもしれません。

あなたが「あきらめてしまったもの」は、実は「盗まれたもの」なのかもしれません。

敵は、あなたを「滅ぼしたい」と願っています。あなたから「何か」を盗むのは「いのちを奪い」「滅ぼすため」です。

しかし、イエス様は続けて言われます。

「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです」

イエス様が来られた理由を決して忘れないでください。

主は、あなたが「いのちを得る」ために来られたのです。

この「いのち」とは、ただ「寿命のこと」を意味しているのではありません。

それは「いきいきと生きるいのち」を意味します。かろうじて「生きる」ことではなく「豊かに生きるいのち」です。

ここで「豊かに」と訳されている語は「余りある」「過剰な」「あふれるほどに」「際立って」と訳すことができます。

イエス様は「過剰なほどのいのち」をあなたに与えてくださるのです。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「考え方」を変える必要がありますね。

私たちは「何とかその日を暮らしていける」という「ギリギリのいのち」を与えられているのではありません。

生きていくのに必要なものを「あふれるばかり」に与えられているのです。

天の御父は「気前の良い方」です。

主は、5000人を満腹にさせただけではありませんでした。パンは、彼らがお腹いっぱいに食べて、なお「余った」のです。

「時間がない」から無理だ…

「年を取った」から無理だ…

「お金がない」から無理だ…

「夢を失った」から無理だ…

そう思うならば、おそらく、あなたは「盗まれて」います。

「盗まれたもの」は、奪い返さねばなりません。

もし、あなたが「盗まれたのではない、自分には最初からなかったのだ」と言うならば「騙されて」いるのです。敵が盗人であると同時に「偽り者」であることを思い出してください。

あなたが「奪い返さないならば」それは「失われたまま」でしょう。そして、あなたが奮い立たないならば、敵はますます「盗んで」いくでしょう。

そうすると、あなたは「いのち」を奪われます。かろうじて「生きているだけ」という状態は「眠っている」のと同じことです。それはつまり本当には「生きていない」ということです。

イエス様は、私たちに「豊かないのち」を得させるために来られました。

あなたは「豊かないのち」を得ることができるのです。

「ギリギリ」「カツカツ」「かろうじて」というのは「豊か」ではありません。

主は「過剰なほど」に供給してくださいます。主は「あり余る」ほど与えられます。

「奪われたもの」を取り戻しましょう。

あなたは「豊かないのち」に生きることができるのです。

主よ、あなたは「豊か」に与えられます
主よ、あなたは「あふれるばかり」に満たされます
私は「豊かないのち」を生きます