2026.6.20 岩に建てるシリーズ「聖霊の学び」を追加

No.627 私は「御父の喜び」のために生きます

子どもたち

ヨハネ8:29
わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。

御父の喜ばれることを

イエス様は「わたしは、その方が喜ばれることをいつも行う」と言われました。

その方とは、もちろん「天の父」のことです。

ヨハネ4:34
わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。

イエス様は「何を食べるか」「何を着るか」と言って心配されることはありませんでした。

それらのことは「天の父」に任せておけばよいと知っておられたからです。

「誰に何と言われるか」「あの人に何と思われるか」を気にして行動されることもありません。

「何を建て上げるか」「どうすれば成功するか」「何が良い事なのか」と思い悩むこともなかったはずです。

イエス様は常に「わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げる」ことに集中しておられました。イエス様はいつも「御父の喜び」だけを考えておられたのです。

私は、時々、すべてを小難しく考えてしまうようです。

マタイ6:33
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

そのように言われると、私は考えてしまうのです。

「では、神の国とは何だろう? 神の義を求めるとはどういう意味だろう?」と。

愛する兄弟姉妹。

私たちは、小難しくひねくり回して考えるのはやめましょう。

子どものような心になって、ただひたすらイエス様の御足のあとをたどりましょう。

主イエスのなさった「みわざ」はもちろん素晴らしいものです。聖霊によって、私たちもイエス様が行われたような「わざ」を行うことができます。

けれど、最も追い求めるべきは「物と事」「見えるわざ」ではなく「主の心」です。

私たちは、イエス様と「同じ心」で歩むことを切に求めましょう。

イエス様が「御父の喜び」のために生きられたならば、私たちも「御父の喜び」のために生きるのです。

私たちは「主のわざ」を求める前に「主の心」を求めましょう。

イエス様の言動の「動機」は、いつも「御父の喜び」でした。

それならば、私たちの言動の「動機」も「御父の喜び」であるべきです。

そして、おそらく、それこそが「神の国と神の義」を求めることなのです。

コロサイ4:23
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。

どんな小さなことでも、取るに足りない「いつものこと」であっても、それを「御父の喜び」のために行いなさい。あなたの存在、あなたのことば、あなたの行いを「天の父」がご覧になります。

あなたは「御父の喜び」として生きることができるのです。

主が歩まれたように歩みます
聖霊様がうちに住まわれます
私の動機は「御父の喜び」です