No.201 心を強くして、ただ待ち望みます

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Ⅰペテロ5:6
ですから、あなたがたは神の力強い御手のもとにへりくだりなさい。神はちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

神の御手の下に入ることです

「あなたがたは神の力強い御手のもとにへりくだりなさい」とペテロが言うとき、それは「文字通り」です。つまり、私たちは「神の御手の下」に入るべきなのです。

多くの人が誤解しています。

「へりくだる」とは、周囲の人に「ペコペコ」「へこへこ」することではありません。

「ペコペコ」頭をさげて「へこへこ」と調子を合わせても、「神のちょうど良い時」に高く上げられることはありません。世の中の形にはまって、世の中の出世コースに乗ることができたとしても、神の御国のコースからは外れます。

「神の御手のもとにへりくだる」とは、言い換えると「神を待ち望む」ということです。

ひたすらに主を待ち望むことです。

詩篇27:14
待ち望め 主を。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め 主を。

待ち望むことは「弱い」ならばできません。待ち望むためには「心を強く」する必要があります。

多くの人は「へりくだる」ことは「弱くなる」ことだと勘違いしています。

「へりくだり」とは、何でも他の人を優先して、自分の意見は控えめにして、優しそうに「ふんわり」とほほ笑むことだと思っているのです。

エゼキエル3:9
わたしはあなたの額を、火打石よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らをおそれるな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。

聖霊の預言者と呼ばれるエゼキエルは、反逆の家、つまり「イスラエルの民」に遣わされました。

エゼキエルは「ダイヤモンドのように硬い額」を与えられます。それは「イスラエルの民」に立ち向かうためです。彼らに「へこへこ」「ペコペコ」しないためです。彼らに同調しないためです。

エゼキエルは、主の言われることをすべて理解はできなかったでしょう。しかし、すべて主の命じられたとおりに行いました。

イスラエルの人々は「あいつは、いったい何をしてるのか?」と思ったことでしょう。「変わった人だ」「預言者のことは理解できない」などと思われたでしょう。

それでも、主の命じられたことを行ったのです。

何が起こっているのか理解できなくても、なぜここに置かれているのか納得できなくても、それでも、今、主に命じられたことを黙って行うこと、それが「主の御手のもとにへりくだる」ということです。

さあ、しっかり立ちましょう。

主が、心を強くしてくださいます。

私たちは「世の中に調子を合わせる」必要はありません。主の力強い御手の下に入りましょう。

顔を上げて、堂々としていましょう。主の栄光が、必ず、あなたの上に輝きます。

何と言われても、主に従うことを選びましょう。どう思われるかを気にしてはなりません。

主は必ず「ちょうど良い時に」あなたを高くあげてくださいます。それまで、心を強くして、ただ、主を待ち望みましょう。

主が、必ずちょうど良い時に高く上げてくださいます
私の心を強くしてください

私は主を待ち望みます