2026.6.20 岩に建てるシリーズ「聖霊の学び」を追加

No.617 さあ、強くあれ、雄々しくあれ、おののいてはならない その②

つかまり立ちの赤ちゃん

ヨシュア1:9
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。

おののいてはならない

主は、ヨシュアに「おののいてはならない」と言われました。

「おののいてはならない」とは「ハタト(חָתַת )」ですが、これは「おびえるな」と訳されたり「粉々に打ち砕く」と訳されたりします。

イメージとしては「粉々に砕けて元に戻らない状態」「心を失って立ち上がれないような状態」という感じでしょうか。

つまり、主はヨシュアに「砕けるなよ。心を折るなよ。絶望するなよ。」と言っておられるのです。

それは、これからヨシュアが「打ちのめされる」経験をするからかもしれません。

ダビデは、完全に「打ちのめされた状態」から奮い立ったことがあります。

Ⅰサムエル30:6
ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石打にしようとしたからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。

ここで「奮い立った」と訳されている語は、主がヨシュアに語られた「強くあれ」と同じ語です。

「強くあれ」とは「固くつかめ」という意味です。

打ちのめされたとき、ダビデは「主を固くつかんだ」のです。それが「奮い立つ」ということです。

打ちのめされても「粉々に砕かれて修復不可能」にならない秘訣は「主をつかむ」ことです。

つまり「強くある」ことなのです。

主は、ヨシュアが粉々に砕かれて再起不能にならないように「強くあれ(手でつかめ)」「雄々しくあれ(しっかり立て)」と命じられたのです。

私たちは、時々「打ちのめされる」ような経験をすることがあります。

自分のせいで「打ちのめされる」こともあります。また、何かに巻き込まれて「打ちのめされる」こともあります。大切なことは「打ちのめされた後」どうするのかではありません。「打ちのめされる前」に「どうすればいいのか」を知っておくことです。

主は、前もってヨシュアに命じられました。

「強くあれ。雄々しくあれ。おののいてはならない」と。

どうか覚えてください。

「順番」が大切なのです。

まず「強くあること」つまり「みことばを固くつかむこと」です。

そして「雄々しくあること」つまり「みことばを支えとして、しっかり立つこと」です。

それが「打ちのめされて」も「粉々に砕かれたままにならない(おののかない)」秘訣なのです。

主は、ヨシュアに約束されたように、今、あなたにも言われます。

ヨシュア1:9
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。

あなたの神、主は、今日もあなたとともにおられます。

ですから…

さあ、強くありなさい。雄々しくありなさい。おののいてはなりません。

あなたの行くところ「どこにでも」主はともにおられます。

私は、みことばを固く握ります
私は、主にあって奮い立てます
主は、私とともにおられます