No.687 得ると同時に手離します

ゼラニウム

Ⅰサムエル1:18
彼女は、「はしためがあなたのご好意をうけられますように。」と言った。それで彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。

ハンナが変えられた理由

ハンナの心には「つのる憂いと苛立ち」がありました。

夫のエルカナは「良い人」でしたが、ハンナの心の傷を理解してはくれませんでした。

ハンナは、誰にも言えない「心のうち」を主の御前に注ぎだしていたのです。最初、ハンナは「激しく泣いて」いました。心のうちを言葉にする前に涙があふれ出したのでしょう。彼女の心が「激しく痛んでいた」ことがわかります。

彼女は「心の中」で祈っていました。唇は動いていたようですが、声に出して祈ってはいませんでした。ハンナの心の「憂いと苛立ち」は、ただ主の御前にのみ注ぎだされたのです。

声にならない祈りを、主は聞いてくださいます。心の中で祈った祈りを、主はすべて受け留めてくださいます。

ハンナは長い時間、祈り続けていました。彼女はただ「ひとりごと」をつぶやいていたわけではありません。

ハンナは、聞いてくださる方を意識しながら祈っていました。主が聞いてくださっていると確信していただろうと私は思います。

なぜなら、祈った後の彼女の顔は「もはや以前のようではなかった」からです。

ハンナの心は「祈りのうちに変化」しました。「ひとりごと」には、人の内面を変える力はありません。人を変えるのはいつも「御霊なる神」の働きです。

Ⅰサムエル1:11
そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」

このハンナの祈りを引き出されたのは、主であると私は思います。

神はハンナに「願い」を与えてくださいました。ゆえに、ハンナはその「願い」を御前にささげたとき「確信」を得たのです。

主から与えられた「願い」「志し」には「確信」と「平安」が伴うのです。

ハンナは自分に男の子が与えられることを信じました。彼女は「約束を得た」のです

そして、その「約束」をその場で「手離し」ました。彼女は、後に与えられる「サムエル」をすでにこのとき「手離して」いたのです。

ハンナが本当に「自分のもの」としたのは「主は聞いてくださる方」なのだという確信なのです。自分は見捨てられた者ではない、主は顧みてくださったという自信なのです。それがハンナを「つのる憂いと苛立ち」から解放したのです。

主の御前に心を注ぎだしなさい。

主の約束に確信を得なさい。そして、同時にそれを手離しなさい。

そうすれば、あなたも「主ご自身」を知ります。

あなたの顔は「もはや以前のようではなくなる」でしょう。

主よ、あなたは聞いてくださる方です
主の御前に心を注ぎだします
私は、すべてを得て、そして、すべてを手離します