詩篇19:7
主の教えは完全で たましいを生き返らせ 主の証しは確かで 浅はかな者を賢くする。
主の証しは確か
主の「証し」とは「証しの箱」を思わせる言葉です。
「証し」とは原語では「エドゥート」です。「立ち会う」「何度も語る」「証言する」という意味です。もちろん「証しの箱」にも同じ語が使われています。
「主の教え」は「道しるべ」「養育」などの役割を持っています。そして、私たちのたましいを「生き返らせ」ます。つまり「健全で調和のとれた状態」に戻すことができます。
対して、「主の証し」は「約束」「証拠」を意味します。それこそ「証しの箱」が象徴していることです。
「主の証しは確か」です。それは、絶対に揺るぐことはありません。
そして、この「確かな証し」が「浅はかな者を賢くする」のです。
「浅はかな者」とは、ヘブル語では「門が開いたままの人」と言う意味です。つまり、心が開いたままで「無防備な人」を表します。また「経験の浅い未熟な人」をも表します。
「浅はかな人」は、何でも受け入れます。世の中の様々な意見に翻弄されます。足場が定まらず、常に不安定です。
主の計画は変わりません。主は、それを誓いをもって保証されたのです。
主の真実は変わりません。主の計画は必ず成るのです。そして、それこそ、私たちの希望です。
世の様々な声を聞くのはやめなさい。世に対して「心を開いたまま」にしてはなりません。心に入れてはならない声もあるのです。
世の中の情報を必死になって集めるのはやめなさい。その情報に基づいて計画を立ててはなりません。必要な情報は、聖霊様が教えてくださいます。
あなたの「たましいの錨」は何ですか?
あなたの希望は何ですか?
あなたは「どこに」確信を置きますか?
「主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする」のです。
その「賢さ」は、世の人の言う「賢さ」とは違うでしょう。聖徒は「情報通」になる必要はないのです。
ただ「主の約束」に目を留めなさい。「主の証し」を心に刻み付けなさい。「主の真実」により頼みなさい。
それが「たましいの錨」となります。
そして、それが、不安定な生き方から私たちを解放します。
「主の証し」は確かです。
あなたは、決して、押し流されることはありません。
私たちは、浅はかには生きません。私たちは、岩の上に家を建てた賢い人として生きます。
主よ、あなたの真実を感謝します
主の証しは確かです
私は決して押し流されません

