No.632 あなたがたもわたしのくびきを負って

荷物が多い

マタイ11:29
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎが来ます。

「あなたがたも」と言われます

当時のイスラエルの人々は「戒め」に押しつぶされそうになっていました。

律法学者やパリサイ人たちは、自分たちですら負うことのできないような「戒め」を行うようにと人々に説きました。真面目な信心深い人ほど、疲れ切ってしまうという悪循環が生まれていたのです。

一生懸命に「戒め」を守ろうとするけれどもできない…

あれもこれもと「要求されている」ように感じて心が重たくなってしまう…

善い人になりたい。御心に従いたい。もっと愛せるようになりたい。親切になりたい。いつも喜んでいたい。

真面目な聖徒ほど、理想と現実の差に疲れ果ててしまうものです。

イエス様は、そのような人々を招いておられるのです。

マタイ11:28
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

律法の要求に疲れ果てて、重荷を背負っているように感じているならば、今すぐ、イエス様のもとに行きましょう。イエス様は、重荷にうめく者を招いておられるのです。

あなたの「負っている荷」は、本当に「負うべきもの」でしょうか?

マタイ11:30
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

イエス様は言われます。「わたしの荷は軽い」と。

もし、あなたが「荷の重さに耐えきれない」と感じているならば、理由は二つです。

それは、イエス様の荷ではないのかもしれません。あなたは負うべきではない「荷」を負っているのかもしれません。サタンは、いつも「過重積載」させるのです。負うべき荷でないなら、今すぐ捨てなさい。

けれど、もし、あなたが「イエス様の荷」を負っていて、なおかつ「つぶれそうだ」と感じているのなら、それは「くびき」を一人で負っているからです。

イエス様は「心が柔和でへりくだって」おられます。主は、身をかがめて、あなたの横で「くびき」を負って歩くことを厭われません。

イエス様は「あなたがたもわたしのくびきを負って」と言われました。

「あなたがたも」と言うことは「わたしも」と言うことです。

イエス様は、ご自身も地上におられるとき「御父のくびき」を負っておられました。

イエス様は、御父のみこころを行うことは「あなたがたの知らない食物だ」と言われました。それは、イエス様の地上での「生きる糧」であり、また「喜び」であったのです。

本来、主のみこころに生きることは「いのち」を得ることであり、また人生の「喜び」であるはずなのです。

敵は、聖徒が味わうことのできる素晴らしい糧、最高の喜びを「難行苦行」とすり替えてしまったのです。

私たちは、主のくびきを喜んで負いましょう。それは「生きる糧」であり「最上の満足、喜び」をもたらすものです。

イエス様のもとに行きなさい。主が与えられる「重荷」以外は捨てなさい。

主と共に「くびき」を負いなさい。いつも横にイエス様を感じて歩みなさい。

そうすれば、あなたの「荷」は、あなたに満足と喜びをもたらします。あなたは「真の安らぎ」を知ることができるでしょう。

イエス様の荷以外は負いません
敵に負わせられた重荷は捨てます
主イエスとともに歩みます