申命記6:5
あなたの心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
いのちを尽くす
私たちは「いのちを尽くして」主を愛します。
「いのち」とは「たましい」のことです。ヘブル語では「ネフェシュ」です。本来は「のど」という意味です。
「たましい」は「渇く」のです。
「たましい(ネフェシュ)」は、神を慕っています。その「たましい」は、生けるまことの神を求めて渇いています。「たましい」とは、生き物としての本能的な「欲求・渇き」を表すと言えるかもしれません。
「たましい」は、常に「何かで満たされたい」と欲しているものなのです。
「いのちを尽くして愛す」とは、あなたのすべての「求め」「渇き」を「神にのみ向けよ」と言うことです。
もし、あなたの「たましい」が「神」によって満たされないなら、他のもので「満たされて」しまうでしょう。
「たましい」は「空っぽ」であることに耐えられないからです。
覚えてください。
あなたの「たましい」は、本当は「生けるまことの神」を慕い求めているのです。
その「渇き」を他のもので満たしたとしても、それで「渇き」がおさまることはありません。
サマリヤの女は「まことの礼拝」を求めていました。彼女の「たましい」は「生けるまことの神」に渇いていたのです。
しかし、彼女は、その渇きを「五度の結婚」で満たそうとしました。そして、それは五度とも破綻しました。彼女は「六度目」には期待していなかったように思えます。
しかし、それでも他にどうすることができたでしょう?
主は言われます。
「わたしを信じなさい」
イエス様を信じる者は「決して渇かない」のです。
イエス様を信じる者は「心のうちに泉が湧く」のです。
あなたはそれを信じますか?
イエス様は続けて「礼拝」について語られました。
「父を礼拝するときが来ます」
彼女のたましいが「満ち足りる」ために必要なことは、イエス様を信じることでした。
そして「まことの礼拝者」となることだったのです。
あなたの「たましい」の渇きは、イエス様を信じ「礼拝者となること」によってのみ満たされます。
あなたは「いつになれば」満たされるのかと思っていませんか?
何をすれば満たされるのだろう…
どこに行けば満たされるのか…
イエス様は言われます。
「今がその時です」
今、あなたは満たされます。
今、その場で満たされることができるのです。
あなたの「たましい」は、まことの神を礼拝することによって満たされます。
今、主の御前にひれ伏して言いなさい。
「神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます」
主があなたの「たましい」を満たされます。
あなたは「いのちを尽くして」主を愛しなさい。
主よ、いのちを尽くして愛します
私のたましいを満たしてください
私は主を礼拝します

