2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.575 船を動かすのは「下で支える漕ぎ手」です

夕日と船

Ⅰコリント4:1
人は、私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。

使徒はキリストのしもべなのです

パウロは、人々に自分のことを「キリストのしもべ」であると考えなさいと言っています。

口語訳の方が少し分かりやすいかと思います。

Ⅰコリント4:1
このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者とみるがよい。

コリントの教会の人々は「人」を見て信仰生活を送っていました。

「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」「私はキリストにつく」などと分派をつくっていました。

「キリストにつく」という人は、一見正しいように見えますが、彼らがもっとも「分かっていない人々」と言えます。イエス様を、使徒たちと同じラインに並べてしまっているのですから。

そのようなコリントの人々にパウロは言うのです。

「私たち(働き人たち)のことは神のしもべだと考えなさい」と。

ここで使われている「しもべ」という語は、原語では「ὑπηρέτης(ヒュペレテース)」といいます。よく知られている「奴隷(δοῦλος ドューロス)」とは別の言葉です。

「ヒュペレテース」とは「船の漕ぎ手」と言う意味です。昔の船は「漕ぎ手たち」が船底で人力で動かしていました。その「下支えしている漕ぎ手」こそ使徒である自分の役割だとパウロは言っているわけです。

そして、コリントの教会の聖徒たちに「そう考えなさい」と勧めているのです。

パウロもアポロもペテロも、みなに尊敬される立派な働き人たちでした。コリントの教会の人々は、彼らに憧れを抱いたのでしょう。

しかし、彼らは「イエス様」ではないのです。私たちはみな「キリスト・イエス」だけを一心に見つめるべきです。

牧師や教師、伝道者、預言者、使徒たちとは「憧れの対象」ではありません。先輩の聖徒を尊敬することは大切ですが、祭り上げるべき対象ではありません。

本当の働き人とは「下支えする漕ぎ手」のことです。その働きの多くは「見えないところ」で行われるものです。働き人とは「支えて熱心に漕ぐ人」です。そして「私も一生懸命に漕ぎますから、よければ、あなたも一緒に漕ぎましょう」と言う人です。

愛する兄弟姉妹。

私たちはみな「キリストの奴隷(ドューロス)」です。みな同じ船に乗っています。

けれど「自由な奴隷」ですから、船の甲板で遊んでいてもいいわけです。船長の真似事をして偉そうに指示することもできます。船の甲板ですべてが行われているように見えます。

けれど、本当に船を動かしているのは誰でしょう?

それは「下支えしている漕ぎ手たち」です。彼らは「誰にどう思われるか」を気にしません。ただ自分を召してくださった方に対してのみ忠実なのです。

私も「下支えの漕ぎ手」として忠実でありたいと願います。

愛する兄弟姉妹。

私と一緒に「下へ」降りませんか?

「牧師」と呼ばれなくても、主の召しに忠実に従う者こそ「主のしもべ」です。

誰が一番偉いのかなど、どうでもいいのです。

どこで学んだのか、誰の許可を得たのか、どこに属しているのか、それらもまた、どうでもいいのです。

主の招きに立ち上がる人々は、上ではなく下に降ります。

私たちはただ「主イエスの船」が動けばそれでいいのです。

私は「下支えの漕ぎ手」です
聖霊の号令に従います
「下支え」する多くの仲間と力を合わせます