Ⅰペテロ3:9
悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
あなたの祝福は実現します
悪に対して悪で返すなとペテロは言います。侮辱に対して侮辱で返すなとも言います。
この「悪」とは「質が悪い」という意味です。「物が腐っている」「劣っている」という状態です。つまり「性根が悪い」「品性が低い」というニュアンスが含まれています。
「侮辱」と訳されている語は「罵り」「悪口」「罵倒」とも訳されます。「相手を軽んじ、人格を貶め入れる」というニュアンスが含まれます。つまり「人格の否定」です。
もし、あなたが「悪」や「侮辱」に出会ったとしても、同じように「悪」や「侮辱」を返してはなりません。
つまり「品性の低い態度」を取ったり「人格を貶める言葉」を発したりしてはならないと言うことです。
「やられたらやり返す」という態度は、聖徒の生き方ではないのです。
けれど、恐らく、私たちは「やられてもやり返さない」でしょう。黙って唇をかみしめて我慢することが多いのではないでしょうか。実際、なかなか「その場で言い返す」なんてできませんよね。
これは私の場合ですが…
家に帰ってから言い返す言葉を見つけて「ああ言ってやればよかった」「こうも言ってやればよかった」と思うことが多々あるのです(笑)
そして、自分が言いかえしている場面を想像しリピートしてしまうのです。
これは、実際には「悪」や「侮辱」を相手にぶつけてはいないけれど「品性の低い態度」であることは間違いありません。とても「祝福」しているとは言えませんね。
「祝福」とは原語の意味は「良いことば、喜ばしいことばを語る」です。
それは「祝福します」という抽象的なことばではなく「具体的に良い言葉を語る」ことを意味します。
覚えてください。
あなたは「祝福を受け継ぐために召された」のです。
「受け継ぐ」とは「相続した」という意味です。
「召された」とは「呼ばれた」ということです。
主は、あなたに「祝福」をすでに「相続財産」として与えておられます。
あなたは「祝福」を受け継いでいるのです。
主は、本質的に「祝福の神」です。
最初に「人」を造られたとき、彼らを「祝福」されました。
大洪水の後、新しく生きるノアたちを「祝福」されました。
アブラハムをカナンの地に導き「祝福」されました。
いずれの時にも、主は「ことば」をもって「祝福」されたのです。
そして、忘れないでください。
主の口から発せられる「ことば」は必ず「実現」するのです。
あなたが「受け継いだ」のは、この「祝福の力」です。
愛する兄弟姉妹。
私たちは、受け継いだ「祝福の力」を使いましょう。それも大いに使いましょう。
あなたが語る「祝福のことば」は実現するのです。
あなたのうちには「聖霊」がおられます。あなたは「本質的に聖なる者」とされています。質の悪い態度は、あなたにふさわしいものではありません。
あなたは祝福のことばを語るために召されたのです。主は、あなたのことばを実現してくださいます。
あなたは、そのために呼ばれたのですから。
私は良いことばを語ります
私の祝福のことばは実現します
私は祝福を受け継ぐ者です

