詩篇1:1
幸いなことよ。
悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。
幸いな人とは…
幸いな人とは「悪しき者のはかりごとに歩まない人」です。
「悪しき者」とは、神を求めない人のことです。「神はいない」と思っている人のことです。
愛する兄弟姉妹。
「神はいない」と思っている人たちの「はかりごと」に歩んではなりません。
「はかりごと」とは「助言」「計画」「相談」「思考」などと訳すことができます。
これは「悪巧み」に限ったことではないのです。
「神はいない」と言う人々と「同じ価値観」「同じ基準」を持ってはならないということです。
「歩く」とは「生き方」のことです。彼らと仲良く「同じ方向」に歩いて行ってはなりません。
幸いな人とは「罪人の道に立たない人」です。
あなたは「どこに立って」いますか?
「立つ」とは「立ち位置」のことです。どちらの側に立っているのかということです。
もし、あなたが「世の価値観」によって歩んでいるならば、それは「神の小道」ではありません。
多くの人が行く「広い道」です。
幸いな人とは「嘲る者の座に着かない人」のことです。
「嘲る者」とは「嘲笑する人」「神の道を冷笑する人」のことです。
「座に着く」とは「住む」「定住する」「腰を落ち着ける」とも訳せます。
もし、私たちが、悪しき者と価値観を共有し、そちら側に立ち続けるならば、最終的には「そこに住む」ことになるでしょう。
これは、まさにロトの人生を表わしているように思います。
ソドムの人々の中で、ロトは「心を痛め」ながら暮らしていました。しかし、それでも「ソドムを出よう」とは考えなかったのです。それは、ソドムは暮らすのには「良い所だ」と思っていたからです。
つまり、ロトの価値観は「神はいない」と言っている人々と同じであったということです。
ロトは、ソドムに天幕を移し、最終的には「門のところに座る」までになりました。ロトは、ソドムの町で「ひとかどの人物」として認められていたようです。ロトは、誰から見ても「立派なソドムの人」でした。
彼の暮らしは「良かった」と私は思います。
しかし、どうでしょう?
ロトは「幸いな人」だったでしょうか?
ロトは、主のあわれみのゆえに救い出されます。そういう意味では「幸い」だと言えるかもしれません。
しかし、お世辞にも「幸せな人生だったね」とは言えませんね。
カナンの地で、アブラハムは「幸せな晩年」を過ごしました。彼は「幸いな人」です。
私たちは、幸いな人として生きましょう。
私は世の型にはまりません
私は「神の小道」を歩みます
私はキリストとともに「天上に座る者」です

