エレミヤ17:8
その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。
二種類の人がいます
エレミヤは「二種類の人」について語っています。
「荒れ地の灌木のような人」と「水のほとりに植えられた木のような人」です。
「荒れ地の灌木」とは、根を深く張ることができず、荒れ地の中でポツンと孤独に生えている背の低い木のことです。木と言っても、それほど太い幹はない低木です。
一方、水のほとりに植えられた木は、流れのほとりに「根をのばし」ます。その木はみずみずしく、よく葉を茂らせ豊かに実を結びます。
両方の木の大きな違いは「根」にあります。
聖徒はみな「キリストに根ざしなさい」と言われます。
けれどいったい「根ざす」とはどういう意味なのでしょう。私たちは、どうすれば「根ざしている」と言えるのでしょうか。
それは、この二種類の木から学ぶことができます。
「そのような者は荒れ地の灌木」とは、どのような人のことでしょう。
「荒れ地の灌木のような人」とは「人間に信頼する者」のことです。
主は、そのような人は「心が主から離れている」のだと言われます。
ここで「人間」と訳されている語は、直訳すると「強い男」です。しかし、いくら「強く見える人」であっても、主の御目から見れば「肉なる者(アダム)」つまり、チリから造られた者に過ぎないのです。
では「その人は、水のほとりに植えられた木」とは、どのような人のことでしょう。
「主に信頼する者」「主を頼みとする者」は、水のほとりに根を伸ばす木です。
つまり、違いは「信頼する対象」にあるということです。
あなたが「主に信頼する」ならば、あなたは「キリストに根ざす者」です。
そして、あなたの心は「主の近く」にあります。
「信頼」とは「信じる」以上のことです。
「ああ、私は信じていますよ」と表面的に告白することではありません。残念なことに「信じている」と告白する人の多くが「信頼して」はいません。私も、その一人であると認めざるを得ません。
「信頼」とは「内側に入ること」です。信じることの「中に入ること」が「信頼」です。どんなときにも「主だけにより頼むこと」が「信頼」です。
そして、それこそが「根を張る生き方」なのです。
あなたは、主を「信じて」いるでしょう。しかし「信頼」していますか?
主だけにより頼み、主を支えとし、主だけに信頼して歩む者になりたいと、私は切に望みます。
私は、主に信頼します
肉なる者を頼りとしません
私は、キリストに根ざす者です

