創世記25:34
ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。
無価値なものとみなしたのです
エサウは長子の権利を「侮った」のです。
「侮った」とは、口語訳では「軽んじた」と訳されています。「軽蔑する」「価値のないものとして低く評価する」という意味です。
つまりエサウは「長子の権利で腹がふくれるか?」と言ったのです。
それは「見えない神の約束と祝福を食べることができるのか。今の自分には何の役にも立たないだろう」ということです。
彼は「長子の権利」すなわち「神の約束と祝福」を「価値のないものとして低く評価した」のです。それは「聖なるもの」の価値が分からない「俗悪な者」の考え方です。
恐らく、これは「言葉のあや」だったのでしょう。
一日中歩き回ってヘトヘトで戻ってきたら、弟が「美味しそうなもの」を作っていたのです。レンズ豆の煮物は、とても食欲を刺激するよい香りがするそうです。
今すぐに食べたいと誰でも思うでしょう。そこに、ヤコブが「長子の権利と交換だ」ともちかけたのです。エサウは、思わず「いいとも、長子の権利などくれてやる」と口走ってしまったのでしょう。
エサウは「祝福」を嫌ったわけではないのです。彼は、後から、泣きながら「祝福」を求めています。しかし、もう遅かったのです。
「そんなつもりはなかった」とエサウは言うでしょう。
しかし、彼の「軽々しいことば」は、「心の中の優先順位」を明らかにしたのです。
あなたは、心から「神の国とその義」を求めていますか?
エサウのように「軽々しく」ことばを発していないでしょうか?
「軽々しいことば」こそ、心の中の「優先順位」を明らかにするものです。
「見えない霊的なこと」は「見える世界に影響しない」と思ってはいませんか?
「神の国とその義」を最も優先するならば、見える世界において祝福が注がれます。
ヤコブは、確かに「押しのける者」で「騙す者」でした。品性に問題はありましたが「神の約束と祝福」に絶大な価値を見出した人でした。
主は、ヤコブを祝福されたのです。
主は、ヤコブの品性を整えるためにラバンを用いられました。ヤコブは辛い目にあいました。
しかし、カナンの地に帰ったときのヤコブを見てください。
一本の杖しか持っていなかったヤコブが「二つの宿営」を持つまでになりました。多くの子どもたちと多くの家畜が与えられました。彼は「豊かな人」となってカナンに戻ったのです。
「神の約束と祝福」を軽んじてはなりません。目に見えない「霊的祝福」を侮ってはなりません。「聖なるもの」と「俗なるもの」を見分けなさい。
手をも心も、主に向かって上げなさい。上にあるものを切に求めなさい。
必要なものは「すべて、それに加えて」与えられます。
主の祝福を切に求めます
私は、主に向かって両手を上げます
天にあるすべての霊的祝福を感謝します

