申命記6:5
あなたの心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
力を尽くす
私たちは「力を尽くして」主を愛します。
「力」とは「筋力」の意味ではありません。それは「非常に」「多くの」「過度の」「あまりにも」などという意味です。
直訳的に訳すと「あなたのあまりあるもの(過剰なもの)を尽くして、主を愛せよ」という少し変な日本語になります。
ここで「非常に」と訳されている語と、申命記で「力」と訳されている語は同じなのです。
つまり、これは個人的な解釈ですが…
あなたは「自分で思っている以上の者」であるということです。あなたは「非常に良い」のです。
あなたは「非常に良いもの」を尽くして、主を愛することができるのです。
自分の限界を自分で決めてはなりません。周囲を見て「縮こまって」はなりません。常識が「できない」と言っても同意する必要はないのです。
「水の上は歩けない」と誰が決めたのでしょう?
ペテロは「力を尽くした」のです。
彼は、自分の限界を決めずに、ただイエス様を見つめて「水の上」に踏み出しました。
これが「力を尽くす」ということです。
あなたの「タラント」を土に埋めてはなりません。
私には「タラントがない」などと言ってはなりません。あなたには、少なくとも「1タラント」が与えられているのです。
私には、土に埋めたしもべの金銭感覚は理解できません。
「1タラント」とは大金なのです。現代の日本円に換算すると「6千万から1億2千万」ほどだと言われます。
主を愛さない者は、どれだけ多くのタラントをもらっても「土に埋める」でしょう。なぜなら、主を愛さない者に「主の本当の心」は分からないからです。あの「しもべ」は、主人の心を誤解していました。
彼は「主人は厳しい方」だと思い込んでいました。勝手に「失敗はきっと許されない」と思い込んでいたのです。ですから、怖くなって「地の中に隠して」しまったのです。
あなたは「自分に与えられたもの」を使っていますか?
自分は「これぐらいの者だ」と勝手に決めつけてはいませんか?
「力を尽くす」のです。
主は、限界を超えたペテロを受け入れてくださいました。
「来なさい」と言われたのはイエス様なのです。
主は、水に沈みかけたペテロを見捨てられることはありませんでした。すぐさま御手を伸ばし引き上げてくださいました。
恥ずべきは失敗ではありません。本当に恥ずべきは「力を尽くさないこと」です。
力を尽くしましょう。
水の上を歩き出そうではありませんか。
沈むことを恐れてはなりません。たとえ沈んでも「引き上げてくださる方」を見なさい。
あなたが「限界を超えて」歩き出すならば、人々が「主を礼拝する」ようになります。
あなたを「引き上げてくださる方」を見て、人々はひれ伏し礼拝するのです。
あなたは「力を尽くして」主を愛しなさい。
私は力を尽くして、主を愛します
主よ、あなたを信じます
私は、限界を突破します

