2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.613 とどまるとは、ともに生きることです

ぶどう

ヨハネ15:4
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

それは、今、決断することです

イエス様は「わたしにとどまりなさい」と言われました。

これは、とても強い「命令」です。

「もし、よければとどまってね」というような「勧め」のことばではありません。

「今すぐに、とどまることを決断して完了しなさい」という意味のことばです。

また「とどまる」とは「住む」「居住する」という意味があります。

つまり「わたしと一緒に住むと決断しなさい」と訳すこともできるということです。

「とどまる」とは、単に「イエス様を信じている」ということではありません。

それは「生活をともにする」ということなのです。常に「一緒に生きる」ということです。

「わたしにとどまりなさい」と弟子たちに言われたとき、イエス様はご自身がもうすぐ捕らえられるということを知っておられました。

弟子たちがみな、ご自分を捨てて逃げ出すことをご存知でした。

「わたしにとどまりなさい」という言葉には「嘆願」が含まれています。

主は「どうか、私にとどまって欲しい。今、それを決断しなさい」と言っておられるのです。

イエス様の切実な思いが伝わってきますね。

あなたは、イエス様に「とどまる」と決断しましたか?

あなたは、イエス様と「ともに住む」ことに決めましたか?

主は、あなたと「一緒に住みたい」と望んでおられます。

そして「今」その決断をして欲しいと望んでおられます。

主は、あなたの告白を聞かれます。その決断は「一度」で充分です。

大切なことは「常に一緒に生きていると感じている」ということではありません。

「常に一緒に生きると決断する」ことです。

あなたが、どのように「感じる」かは重要ではありません。

イエス様を置いて逃げた弟子たちは「主とともにいるとは感じてはいなかった」でしょう。しかし、主は彼らを見捨てられませんでした。彼らが「主にとどまる」と決心したとき、主もまた「とどまって」くださったのです。

あなたが「主とともに住む」と決心したならば、主もまた「あなたとともに住む」と言ってくださいます。

そして、それは「あなたがどうであろうとも」変わることはありません。主は、あなたとともにおられます。あなたは、毎日「主よ、もう一度、とどまらせてください」と願う必要はありません。

臨在を色濃く感じる日もあれば、感じない日もあるでしょう。

罪を犯して落ち込む日もあるでしょう。

しかし、主は「あなたとともに住む」ことを放棄されません。あなたの「主にとどまる」という決断は有効です。「わたしもあなたがたの中にとどまります」と、イエス様がはっきりと約束されたのです。

ですから、自信を持ちなさい。主の約束を信じなさい。

今日も、主がともにおられます。あなたとともに生きてくださいます。

あなたは、必ず「実を結ぶ」ことができるのです。

私は、イエス様にとどまっています
主は、私とともに生きておられます
私は、必ず実を結びます