黙示録20:3
千年が終わるまで、これ以上、諸国の民を惑わすことがないように、底知れぬ所に投げ込こんで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
底知れぬ所へ
さて、とうとう大患難時代が終わりました。
地上に残された人々の中で、すべてのことを正確に把握している人は存在するのでしょうか。イエス様が戻って来られてから、獣や偽預言者が捕らえられるまでの期間は「数日」もかからないでしょう。もしかすると「数時間」のできごとかもしれません。
獣と偽預言者は捕らえられます。そして、まず最初に「火の池」に投げ込まれる被造物となります。この「火の池」に関しては、また次回(もしくは次々回)に詳しく学びましょう。
使徒ヨハネは、一人の御使いを見ます。その御使いは「鍵」と「鎖」を手にしていました。
その「鍵」とは、「底知れぬ所」を開いたり閉じたりする権威のことです。また「鎖」とは、サタンを縛りつけ動けなくするためのものです。
「底知れぬ所」とは、直訳すると「底なしの穴」という感じです。そして、この「底知れぬ所」とは、ハデスや火の池とはまた違う場所です。
「レギオン」と名乗った悪霊どもは、イエス様に「底知れぬ所へ行け」と命じないでくださいと懇願しました。
「底知れぬ所」がどのような場所なのか想像もつきませんが、悪霊が「絶対に行きたくない」と強く願うような場所であることは確かです。
そこには、すでに悪霊たちが幽閉されているようです。
サタンも捕らえられ、しばらくの間、幽閉されることになります。
竜、すなわち悪魔でありサタンであるあの古い蛇は捕らえられます。
神に似た者として造られた人を、惑わし続けた者が捕らえられます。ここで、主ご自身が、直接、鎖で縛りつけないのには意味があるように思えます。サタンは、そもそも被造物に過ぎないのです。全能なる神の御手をわずらわせるまでもない存在なのです。
サタンとその手下の悪霊どもは「遍在」つまり「どこにでもいる」ことができないのは明らかです。彼らは「一箇所」にしか存在することができません。底知れぬ所にもいて地上にもいるなどということはできません。サタンとその手下の悪霊どもは「全能」ではないのです。無から有を生み出すこともできません。
私たちは、霊の戦を甘く考えてはなりませんが、必要以上に敵の力を大きく考える必要もないのです。
「あの古い蛇」は、最初にエバを惑わしました。そして、それ以来ずっと人類を惑わし続けてきたのです。
敵の一番の策略は「惑わし」なのです。私たちは、サタンの策略を知らないわけではありません。
サタンは「千年の間」底知れぬ所で縛られ、人々を惑わすことができなくなります。地上の人々は、アダムとエバの堕落以来、初めて「惑わされずに」暮らすことができるのです。
主を知ることが地に満ちます
しかし、サタンが縛られるのは「千年の間」だけです。
その後、主は、サタンを底知れぬ所から解き放たれます。おそらく、サタンの手下の悪霊どもも同じように解き放たれるのでしょう。
私たちは、このサタンが縛られてる間のことを「千年王国」と呼んでいるのです。この間、聖徒はイエス様とともに「千年の間、王として治める」からです。
このとき、まだ「新天新地」に対する言及はないので、この「千年王国」は地上に打ち立てられることは間違いないでしょう。
「千年王国」の期間、この地上は、私たちが今いる世界とはまるで違う世界のように思います。
イザヤは預言して言っています。少し長いですが、千年王国について記されている箇所を読んでみましょう。
千年王国の間、人々は「家を建てて住む」ようです。これは、イエス様が御国に用意して下さる家ではありません。やはり、ここは「地上」なのです。家を建てて住むことは、今と変わりません。
ただ「自分が建てた家」に「他人が住むことはない」のです。
千年王国では、自分の成果を横取りされることは絶対にないのです。あなたが頑張った結果、他の人が褒められるなどということはありません。安心な時代ですね。
人々の寿命にも大きな変化があります。その寿命は「木の寿命に等しい」のです。
「木」にも様々な種類がありますから、寿命も種類によって異なるわけですが…
ユダヤのラビたちの伝統によれば、この木は「オリーブの木」もしくは「テレビンの木」または「レバノンの杉」ではないかと言われています。
「杉の木」は寿命の長いものが多いそうですが、オリーブやテレビンもかなり長生きだそうです。
一般的に、地上の場合、オリーブの木の平均樹齢は約300年と言われます。
イザヤが何の木を思い浮かべていたかは分かりませんが「木」が長生きの象徴であることは間違いありませんね。
屋久島の縄文杉の樹齢は、推定2500年から7200年などと言われます。
また、カリフォルニアには、樹齢約4800年の松の木(松の一種)があります。ちなみに名前は「メトシェラ」だそうです(笑)
おそらく「木の寿命に等しい」とは、創世の初めの人々の寿命と同じようになるということなのだろうと思います。先ほどの「松の木」の名前の由来となった「メトシェラ」は「969歳」まで生きました。人類で最も長生きした人です。
もしかすると、千年王国が始まってから、その終わりまで生き続けるなどと言う人もいるのかもしれませんね。
しかし、それでも、千年王国は「地上の王国」ですから人々は永遠には生きないのです。そこにはまだ「死」があります。人々は長寿ではありますが「死」を迎えるのです。(第一の復活にあずかった人々は別です)
千年王国では、人の寿命が大いに延びます。今より、ずっと「穏やか」で「柔和」に暮らせるのではないかと思います。
しかし、影響を受けるのは「人」だけではないようです。
千年王国の時代には、いわゆる「肉食獣」はいなくなるということでしょうか。狼も獅子も草を食べるようです。実は、それが「もともとの姿」なのです。
この千年王国の時は、動物の世界まで回復されます。ですからイザヤ書などに描写されている自然界の調和が戻って来るのです。神様の救いは凄いですね。動物まで回復するのです。現在は、動物の世界にも呪いがあります。創世記3章17節にあるように、地にも呪いが入ってきて、動物界にもそれが入って来たのです。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション
人々は、この地上で「回復」を経験します。千年の間、地上には「サタンの惑わし」はありません。
考えてみてください。
暗闇の圧政がなくなるのです。地上の人々を惑わす者はいないのです。人々は「主」を知ることを妨げられません。この地には「主を知ること」が満ちるのです。
主は言われます。
これは、あくまで個人的な意見ですが…
千年王国であっても、人は原則として「信仰によって生きる」はずです。つまり「見えない方」を信じるという生き方は変わらないと思うのです。
しかし、千年王国では、人は「神の御声」を聴くことが、今よりもっと容易になるのではないでしょうか。
「主を知ること」が海のように満ちている時代です。主の臨在を感じ、主の御旨を知り、主と親しく交わることが、今より、ずっと身近になるのだろうと私は思うのです。
しかし、それは、地上に住む「すべての人」が心から、主に従って歩むことの保証とはなりません。
サタンは解き放たれます
イエス様は、地上に戻って来られ「千年の間」、聖徒とともに地を治められます。
なぜ「永遠」ではないのでしょう。なぜ、千年王国は地上に立てられるのでしょう。
それには、いくつか理由があります。三つだけ上げましょう。
まず一つ目は、アダムが失った「地上を治める権利の回復」のためです。それは地上で失われたのですから、地上で回復されねばなりません。
二つ目は、イスラエルとの約束を成就するためです。主が、アブラハムやダビデと結ばれた契約は必ず成就します。イスラエルは、この地においてカナンの地を受け継がなければなりません。
三つ目は、完全なさばきのためです。主は、この地にもう一度「エデンの園」と同じ状態を造られるのだと私は思います。ほぼ完ぺきな環境の中に人を再び置かれるのです。そうして、最終的にサタンが解き放たれたとき、その「惑わし」に屈服するようならば、そこには何の救済もないのです。
「竜はしばらくの間、解き放たれる」ことになります。
解き放たれるのは「竜」です。あの「古い蛇」の姿をした敵ではありません。力を誇示し、巨大さを見せつける敵が解き放たれます。
竜は「戦いのため」に人々を召集します。
ゴクとマゴクについては、今回は置いておきましょう。また次の時に少し触れます。
今は「戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである」と記されていることに注目してください。
竜の目的は「戦い」です。戦う相手は「聖徒たちの陣営と愛された都」です。
竜は「戦い」のために人々を「召集」します。そして、驚くべきことですが、竜の召集に応じる人の数は「海の砂のよう」に多いのです。
アダムとエバは「完全な環境」を備えられていました。しかし、彼らは「いのちの木」ではなく「善悪を知る知識の木」を選んだのです。つまり、人の罪は「環境」によるものではないということです。
千年王国の終わり、解き放たれた竜の「惑わし」は、、エバを惑わしたときよりも激しく執拗なものなのだと思います。それこそ「全力」で惑わしにかかるでしょうから。
千年王国の間、そこには「飢えや渇き」はありません。人々は「平和」に暮らせます。しかし、それでも「惑わされ」竜の側につく人は「海の砂のように多い」のです。
このことは、人にとって最も大切なことは「環境」ではなく「関係」であることの証拠です。
主の栄光が現わされ、主を知ることが満ちている世界であっても「関係」を築かない生き方は可能なのです。そうして、千年の間、主との関係を育まなかった人々は、最後の最後、竜とともに聖徒に立ち向かうのです。
愛する兄弟姉妹
このことを切実に受け留めましょう。
あなたは「主との関係」に生きていますか?
今は、サタンの惑わしの激しい時代です。敵は、聖徒を食い尽くそうと歩き回っています。
「物と事」に目を留めて生きるなら、私たちは「惑わされて」しまいます。
周囲を見回し「あれさえあれば」「これさえあれば」と思うのはやめなさい。
私たちは、日々の生活の中で絶えず「選択」しなければならないのです。
「いのちの木」か「善悪を知る知識の木」か…
「いのちの木」を選び続けなさい。それは「主イエスから目を離さない」ということです。
あなたが求めているものはみな、イエス様のうちにあることを信じなさい。
あなたに必要なものは「すべて」御父が面倒を見てくださることを信じなさい。
私たちは「神を知る」ことを求めましょう。「主との関係」を育むことに一生懸命になりましょう。
今は「惑わし」の時代です。敵は、あなたを妨害してくるでしょう。あなたが、主に近づくことを邪魔するはずです。サタンにとって。神との関係を強固にされることほど嫌なことはないからです。
ですから、愛する兄弟姉妹
私たちは、ますます主を呼び求めましょう。聖霊に満たされ、常に「神の御声」を聴く者とされましょう。
日々、みことばを口ずさみ、主に賛美の歌をささげましょう。
最も大切なことは、いつの時代であっても「主との関係」を堅固にすることです。
主だけが、私たちが揺るがされないように守ることがお出来になります。
シャロームを祈ります。

