2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.611 キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません

子羊イエス

ローマ8:1
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

罪に定められることはないのです

これは「約束」ではありません。

「こうなるだろう」ということではないのです。

「今」すでに「そうだ」という事実が記されているのです。

パウロは、ここで「法廷用語」を使っています。

「罪に定められることがない」とは「有罪の判決を下されることはない」という意味です。

それも「決してない」のです。この「決してない」は「例外を全く認めない」という意味を含みます。

あなたは「絶対に有罪にならない」のです。

あなたは「決して罪人と呼ばれることはない」のです。

素晴らしい聖歌にケチをつけるつもりはないのですが「救いを受けた罪人」など存在しないのです。

「キリスト・イエスにある者」は、みな「有罪の宣告を受けない」のですから「罪人」ではありません。

自分のことを「罪人」だと思うのはやめなさい。

努力して「聖徒であろう」とするのはやめなさい。それは「努力」では得られません。

あなたは「聖く生きようと努力している罪人」ではないのです。

あなたは「時々、間違いを犯してしまうかもしれない聖徒」なのです。

これは「大きな差」です。

罪人は、どれだけ努力して善人だと呼ばれたとしても「罪人」です。

聖徒は、もしかすると間違いを犯してしまうかもしれないけれど、どんなときでも「聖徒」です。

サタンは、あなたを「罪人」にしておきたいのです。ゆえに過去に縛り付けておこうとするのです。

「あんなことをしておいて、よく用いてもらえると思えるな」などと言って来るのです。それも「一人称」を使ってささやくのです。つまり「私の思い」のようにささやきます。

「聖徒」という立場に「何らかの行い」をからませてくるものは「すべてサタンから」のささやきです。

敵は、あなたを「振り返らせたい」のです。「鋤に手をかけて、うしろを見る者」にしたいのです。

聞こえてくるささやきを打ち砕きなさい。イエスの御名によって立ち向かうのです。

「主の良くしてくださったこと」を忘れないことは大切です。私たちは、救われたことを大いに誇りましょう。

しかし、もし「過去を見つめて」前に進むことができないのであれば、振り返る必要など「これっぽっち」もないのです。

最も大切なことは「今」あなたが「キリストのうち」にいることです。

そして「キリストのうち」にあるならば、あなたは決して「罪に定められる」ことはありません。

主は、あなたを喜んで用いられます。

あなたは「主の喜び」です。

「キリストのうちにある」と日々告白して歩みましょう。

「イエスの血」は、今日も有効です。

私は「絶対に有罪の判決をくだされる」ことはないのです。

私はキリスト・イエスのうちにあります
私は決して罪に定められません
主は、私を喜んでおられます