No.347 恐れるな、虫けらよと言われる方を信じます

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イザヤ41:14
恐れるな。虫けらのヤコブ。イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。―主のみ告げー あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

私たちはバッタのように見えただろうと言いました

民数記13:33
私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔のアナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。

約束の地を偵察に行った12人のうち10人が「絶対に無理だ」と言いました。

しかし、残りの二人はそうは言いませんでした。

民数記13:30
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」

カレブとヨシュアは「必ず打ち勝つことができます」と言いました。10人とは違う意見を叫んだのです。

10人の偵察隊と、カレブたちには何の差もありませんでした。

12人はみな「同じもの」を見たのです。そこに広がる素晴らしい約束の地と、そして、そこに住む大きくて強い人々を見たのです。彼らはみな、自分たちのことを「虫けら」のようだと感じたのです。

「同じもの」を見て「同じ約束」が与えられているにも関わらず、10人は声を合わせて「絶対に無理だ」と言いい、2人は「絶対に勝てる」と言ったのです。この反応の差はどうして生じてしまったのでしょう。

それは、この10人が「みことばを心に結びつけなかった」からです。

ヘブル4:2
というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって心に結びつけられなかったからです。

「神のみことば」には力があります。主の約束は「良い知らせ」です。しかし、その「良い知らせ」も「心に結びつけ」られなければ益とはならないのです。

「約束」を心に結びつけるために必要なことは「信仰」です。

私は、自分を「虫けら」のようだと思って怯えています。何にもできないし、恐ろしいし、立ち向かっても踏みつぶされるだろうと感じます。

しかし、主は私が「虫けら」であることをご存知です。そして、そのうえで「約束」を与えてくださったのです。主は、あえて「虫けら」を選ばれるのだと私は思います。

イザヤ41:14
恐れるな。虫けらのヤコブ。イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。―主のみ告げー あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

「恐れるな、虫けらよ」と主が言われます。この御言葉が大好きです。

勝利は、私たちが「虫けら」でなくなることではありません。私は、強くはならないでしょう。ずっと「虫けら」のままかもしれません。

「虫けら」の私に勝利が与えられたなら「主の栄光」が輝きます。そうであるならば「虫けら上等」と私は思います。

勝利は「わたしがあなたを助ける」と言われる方を信じることです。

カレブたちは自分が「バッタ」のように見えることを「問題」としませんでした。なぜなら、主の約束の実現に「私の力」は必要ないと知っていたからです。

「弱さ」を誇れることこそ「恵み」です。土の器に「宝」があることが聖徒の醍醐味です。弱いときこそ強いのがキリストにある者の生き方なのです。

「わたしがあなたを助ける」と言われる方を信じます。主のみことばを「心に結びつけ」ます。勝利は、すべて主のものであることを、今、心から告白します。

私は恐れません
戦いは私のものではないからです
私は、主にあって私の弱さを誇ります