2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.612 信頼とは、すべてを転がして飛び込むことです。

飛べ

詩篇37:5
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

信頼するとは…

ダビデは「あなたの道を主にゆだねよ」と言います。

「あなたの道」とは、あなたの「やり方」「生き方」のことです。

また「ゆだねる」とは「転がす」という意味です。

私たちは「自分の生き方を主の御前に転がす」必要があるのです。いつまでも「自分の考え」に固執していてはなりません。それは「転がして」崖から落としてしまいなさい。

「信頼せよ」とダビデは言います。

これは、どちらかと言うと「降伏せよ」という意味に近い言葉です。

「信頼する」とは、ただ「主は頼りになるお方だ」と信じるというような「生易しい」ことではありません。それは「命がけの行為」を表します。

サーカスの空中ブランコは、飛び出す人よりも「受ける人」の方がベテランなのです。より技術が必要なのだそうです。

「飛び出す人」は、必ず相手が「受け止めてくれる」と信じて身を投げ出します。落ちるかもしれない。怖いけれど、相手を信頼して飛び出すのです。

ダビデが言っている「信頼せよ」とは、このようなニュアンスの語です。

「完全な降伏」「無防備な状態」で地面にひざまずく、這いつくばるというような意味があります。

つまり、相手に「すべて」を任せて、自分では「どうすることもしない」もしくは「できない」状態を、ダビデは「信頼」と呼んでいるのです。

そのような意味において、私は「主を信頼」しているだろうかと立ち止まって考える必要があります。

主は、私たちに「全面的な降伏」を求めておられます。

それは「生き方のすべて」つまり「いのち」をゆだねることです。

イサクは、父であるアブラハムを信頼しました。ゆえに、自分のすべてを投げ出し「祭壇の上に」横たわったのです。あのイサクの姿が「信頼の姿」です。

イエス様は、御父を信頼されました。ゆえに、十字架を負われたのです。

私は、主の御前に「すべてを転がす」必要があります。そして、転がした「すべて」に、二度と手を触れないと告白せねばなりません。

「信頼」とは、実は「心地よいもの」ではないのです。私たちは「ゆだねて安全だ」と思います。けれど、本当の信頼とは「刃物が振りおろされるとき」にも祭壇から降りないことなのです。

自分が「転がしたもの」を目で追い続けるのはやめなさい。それは、もはや「あなたのもの」ではありません。

主に「信頼」しなさい。「信頼」とは、すべてを任せて飛び込むことです。

そうすれば、主は必ず「受け止めて」くださいます。

そうすれば「主が成し遂げて」くださいます。

私は、主を信頼します
私のすべてを転がします
主に飛び込みます