No.684 主の力強い御手の下に居続けます

Ⅰペテロ5:6
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

力強い御手の下に

「へりくだりなさい」とは、直訳すると「へりくだらされなさい」です。

とてもおかしな日本語になりますね。けれど、へりくだりが「受動態」で記されていることには意味があるのです。

ともすれば、人は「へりくだること」すらも「誇り」としてしまいます。それは本当に愚かなことです。

イエス様は「断食するときには暗い顔をしてはいけません」と言われました。それは「人に知られないため」です。そもそも「断食」とは「へりくだり」を表わす行為ですから「人に知られる」必要はないのです。「へりくだり」を人に「知ってもらいたい」と思った時点で、それはもう「へりくだり」ではありません。

「へりくだり」は「神の力強い御手の下」から離れては無意味なのです。

「へりくだりたい」と願うなら、まず「神の力強い御手の下」にいることを認めなければなりません。そして、その「御手の下」から動かないことです。

イエス様の模範を見なさい。

Ⅰペテロ2:21~23
このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を示された。キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

イエス様はすべてを「正しくさばかれる方」にお任せになりました。すべてを「委ねられた」のです。

そして、それが「へりくだらされる」ということなのです。

「へりくだろう」とすることをやめなさい。あなたにはできないからです。

神の御手が「力強い」ことを認めなさい。その御手の下から動かずにいなさい。

「へりくだる」とは、事さらに「自己卑下」をすることではありません。また「すべてを自分のせい」にすることでもありません。

「へりくだり」とは、自分の力で「状況をコントロールしないこと」です。たとえ状況が不利になったとしても「神の力強い御手の下に居続けること」です。

そうして、神が「ちょうど良い時」に必ず「高く上げてくださる」と信じることです。

「へりくだらされる」ことも「高く上げる」ことも、どちらも「主の力強い御手」によって行われるのです。

ただ信じなさい。主の御手が力強いということを。

そして、その御手の下に留まりなさい。

そうすれば、神の定められた時に、あなたは高く上げられます。

主の御手は力強いことを信じます
私は主の御手の下に留まります
主が必ず引き上げてくださいます