ヨシュア7:21
私は分捕り物の中に、シンアルの美しい外套一着と、銀二百シュケルと、重さ五十シュケルの金の延べ棒一本があるのを見て欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあります。
つまり、埋めたということです
アカンは、ついに白状しました。
「それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあります」
アカンは、シンアルの美しい外套と金・銀を地面に埋めてしまったのです。
これらは「聖絶のもの」であって、決して、自分の所有物にしてはならないものでした。しかし、そんなことは、アカンも重々承知していたのです。それでも、どうしても「欲しくなった」のです。
しかし、よく考えれば、こんなに愚かな行為はありません。
「欲しくなって取った」として、いったい「いつ・どこで」使うつもりだったのでしょう?
戦争の真っただ中で、美しい外套をいつ着るというのでしょう?
しかも、隠すために「土に埋める」なんて。
外套など、土に埋めてしまえば、もう美しくもなんともないでしょう。
アカンは、どのような思いで「クジ」が民を取り分けるのを見ていたのでしょう。
自分自身が取り分けられた時、自分が「死」を生んだことに気がついたでしょうか。
アカンはどうしても欲しかった物が「罪の証拠」になると悟り、それを隠すしかないと考えました。
アダムは、罪を犯した時、自分自身を隠しました。
人は、罪を「隠す」という性質をアダムから受け継いでいるようです。
しかし、隠したところで「罪が死を生む」ことに変わりはありません。
罪の報酬が「死」であることに変わりはありません。
罪のためには必ず「犠牲」が必要なのです。
アカンやユダは「自分自身」で罪の報酬を受けました。
アダムを覆うためには「動物」おそらく羊が犠牲になりました。
そして、私たちの罪のためには、イエス様が血を流されたのです。
私たちは「欲」に引かれて「罪」を犯します。
あなたが、どうしても「欲しくて」手に入れたものは、今、あなたの目を喜ばせているでしょうか?
おそらく、見るのも苦痛でしょう。あなたは、そのことを心の奥底に隠してしまったかもしれません。
私たちは「弱さ」のゆえに「つまずき」ます。今から思えば、どうしてあの時、あんな行動をとったのだろうと悔やまれます。
あなたは、あの「過ち」を思い出すのもつらくなって、心の奥底に埋めてしまったかもしれません。
けれど、隠したままでは先に進むことはできません。
アカンの罪が隠されたままでは、イスラエルは「アイ」に勝利することはできなかったのです。
埋めてしまったものを、主の御前に差し出しなさい。
隠してしまったものを、主に明け渡しなさい。
大丈夫です。あなたは、自分で「罪の報酬」を負うことはありません。罪が生む「死」は、イエス様が引き受けてくださったのです。
埋めたものを掘り返し、隠したものを献げなさい。
主は、あなたを二倍の恵みをもって慰めてくださるでしょう。
あなたの勝利は、そこから始まるのです。
主よ、私を探ってください
隠してしまったものを、あなたに献げます
二倍の恵みを感謝します

