詩篇18:9
主は 天を押し曲げて降りて来られた。
黒雲をその足の下にして。
主が天を押し曲げて降りて来られたならば
ダビデは、主が敵から救ってくださったことを誉めたたえています。
表題は「主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に」となっています。
主は「力ある敵」からダビデを救い出されました。
その敵は、ダビデを「憎んで」いました。
そして、ダビデは敵に対して「彼らは私より強かった」と言っています。
ダビデの置かれた状況は、ダビデの手には余りました。サウル王に関してだけで言えば「逃げ回る」しか方法がありませんでした。
しかし、状況は一変します。
ダビデは救い出されました。大水の濁流から引き上げられました。
何が起こったのでしょう。
主が「天を押し曲げて降りて」来られたのです。つまり、主が介入してくださったと言うことです。
どのような敵も、どのような問題も、誰が立ちはだかろうと、問題が山のように大きく見えようと、主が「天を押し曲げて降りて」来られるならば、一瞬で解決するのです。
主は、ダビデの時代、「天を押し曲げて降りて」来られました。
しかし、私は覚えていなければなりません。
今、私の生かされているこの時、天はすでに開かれているのだということを。
聖霊様は、ペンテコステのあの日、「天を押し曲げて」降りてきてくださいました。
天はすでに開かれています。
激しい風のように、御霊は天を押し曲げて降りて来られました。
ダビデの時代「天を押し曲げて」御力を現された神は、今、すでに「私」とともにおられるのです。
天は開かれました。
私たちは、なぜ、下を向いているのでしょう。
なぜ、天から注がれる恵みを受け取らないのでしょう。
御霊は「証印」を押してくださるだけの方ではありません。確かに、私たちの「救いの保証」であられますが、それ以上の方です。
ダビデの敵に「矢を放って散らし」「稲妻を放ってかき乱された」方です。
「何も起こらない」
「誰も助けてくれない」
「私には奇跡は起こらない」
そのような心の声は、今すぐに吹き飛ばしてしまいましょう。
御霊は、すでに天を押し曲げて降りて来られています。
天は開かれています。
私は受け取ります。
主が与えたいと望まれる「恵みのすべて」を受け取ります。
「聖霊が臨まれるとき、あなたがたは力を受ける」とイエス様は確かに言われました。
聖霊様は、もうすでに来てくださっています。
後は、私がすべてを委ねて受け取るだけです。
御霊よ、私を満たしてください
すべての恵みを受け取ります
すべてを主にゆだねます