レビ16:22
雄やぎは彼らのすべての咎を負って、不毛の地へ行く。その人は雄やぎを荒野に追いやる。
アザゼルのための雄やぎは去っていくのです
レビ記16章には「第七の月の十日」に行われる大切な儀式について記されてます。
この日は、イスラエルがきよくなる日です。「贖いの日」です。
年に一度、大祭司が至聖所に入るのです。彼は「すべての民のための宥め」を行います。
その日には、二匹のやぎが用意されます。
一匹のやぎは「罪のためのきよめのささげ物」とされます。つまり、血を流すためのやぎです。
もう一匹のやぎは「アザゼルのため」に生かされます。アザゼルとは「完全な除去」という意味だと言われます。
雄やぎは、全イスラエルの「すべての罪」を頭に載せて、荒野に追いやられるのです。
係りの者が、イスラエルの民の目の前から「雄やぎ」を引いて行きます。
民は見ます。
自分の「すべての罪」が引かれて去っていく姿を。
その姿が、みるみる小さくなって、そして完全に見えなくなってしまうまで見送ります。
あの雄やぎは、もう二度と姿を現しません。「荒野のアザゼルのもとへ」追いやられたのだと、民はみな知っていました。
バプテスマのヨハネは、イエス様を見たときに言いました。
イエス様は、私たちのための「罪のためのきよめのささげ物」です。
そして、同時に「アザゼルのためのやぎ」でもあられます。
私は、十字架に、私の「すべての罪」が釘付けられたのを見ます。
そして、そのために血が流されたのを見ます。
私は、主イエスが苦しまれ息を引き取られたのを見ます。
そして、葬られたことを見たのです。
私は、私のすべての罪が「葬られた」のを見たのです。
「罪となられたキリスト」が死んで葬られたとは、そういうことです。
「死者の中から最初に生まれた方」は、もう「罪を負って」はおられません。
それは「葬り去られ」ました。
私たちの「過去の罪」も「現在の罪」も「未来の罪」も贖われたのです。贖いは「完成」しています。
主の贖いは「永遠に完成」されています。
イスラエルは「アザゼルのための雄やぎ」を見ました。そして、自分の罪が「完全に除去された」ことを知ります。
私たちは「世の罪を取り除く神の子羊」を見ます。そして「すべての罪が取り除かれた」ことを信じるのです。
イスラエルの儀式は、毎年、繰り返す必要がありますが、私たちのイエス様は「永遠に完成」してくださったので、二度と繰り返す必要はありません。
私の罪は「十字架に釘付けられ」ました。すべての罪がそこにつけられたのです。
しかし、今や「キリストはよみがえられ」ました。もう十字架についてはおられません。
私たちは「永遠に完成された」御業にあって生かされているのです。
「過去」も「現在」も「未来」も、すべてが贖われています。
私の罪は十字架に釘づけられました
葬り去られ戻って来ません
私は完全に解放されています