No.268 心配しない秘訣は「神がどのような方」かを知ることです!

壮大な山の景色

ルカ12:25~26
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか。

こんな小さなことさえできないのなら

私たちには「自分のいのちを延ばすこと」などできません。

しかし、イエス様は言われるのです。

「こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか」

私たちの「いのちを延ばすこと」は、主にとっては「小さなこと」です。

ユダの王ヒゼキヤが病にかかったとき、預言者イザヤによって「あなたは死ぬ。治らない」と告げられました。

それを聞いたヒゼキヤ王は大声で泣き、主に懇願しました。

イザヤ38:5
行ってヒゼキヤに告げよ。「あなたの父ダビデの神、主はこう言われる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。、見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加える。

主は、いとも簡単に「寿命を加える」と言われます。主にあっては、本当に「小さなこと」であることが分かります。

私たちは「神がどのような方であるか」を知らなければなりません。

神が「何をしてくださるのか」に目を留めているならば、私たちの心配はなくなることがないでしょう。

「主は、いつ成してくださるだろうか」

「主は、どのように成してくださるだろうか」

「まだ、何も変化がない。間に合うだろうか」

「本当に、これは御心なのか、間違ったのではないか」

私たちが「物と事」に目を向けている限り、私たちの心から「心配」はなくなりません。

ルカ12:30
これらのものはすべて、この世の異邦人が切に求めているものです。これらのものがあなたがたに必要であることは、あなたがたの父が知っておられます。

「あれもない」「これも不足している」と焦る心は「信じていない心」です。

それは「御父は何もご存知ないのだ」と言っているのと同じです。

私たちは「主が何をしてくださるのか」ではなく「どのような方であるか」に目を留めましょう。

主は「いのちを延ばすこと」を「小さなこと」とされる方です。

あなたの問題は、それ以上に「大きい」ですか?

主は「必要のすべてを知っておられる方」です。

あなたを造られた方は、あなたにとって「必要なこと」を熟知しておられます。

信じましょう。

「なぜほかのことまで心配するのか」と言われる方を信じましょう。

ローマ10:11
聖書はこう言っています。
「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」

「失望させられることがない」とは、あるいは「恥を見ることがない」です。

信じる者は「失望」しません。「恥」を見ることもありません。

「自分の神を知る者」こそ、堅く立つ者です。

心配しない秘訣は「神がどのような方であるのか」を知ることです。

私たちは「こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか」と言われる方を信じて歩む者です。

私は、主を信じます
主には不可能はありません
主は、必要のすべてを知っておられます