ルカ12:25~26
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか。
こんな小さなことさえできないのなら
私たちには「自分のいのちを延ばすこと」などできません。
しかし、イエス様は言われるのです。
「こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか」
私たちの「いのちを延ばすこと」は、主にとっては「小さなこと」です。
ユダの王ヒゼキヤが病にかかったとき、預言者イザヤによって「あなたは死ぬ。治らない」と告げられました。
それを聞いたヒゼキヤ王は大声で泣き、主に懇願しました。
主は、いとも簡単に「寿命を加える」と言われます。主にあっては、本当に「小さなこと」であることが分かります。
私たちは「神がどのような方であるか」を知らなければなりません。
神が「何をしてくださるのか」に目を留めているならば、私たちの心配はなくなることがないでしょう。
「主は、いつ成してくださるだろうか」
「主は、どのように成してくださるだろうか」
「まだ、何も変化がない。間に合うだろうか」
「本当に、これは御心なのか、間違ったのではないか」
私たちが「物と事」に目を向けている限り、私たちの心から「心配」はなくなりません。
「あれもない」「これも不足している」と焦る心は「信じていない心」です。
それは「御父は何もご存知ないのだ」と言っているのと同じです。
私たちは「主が何をしてくださるのか」ではなく「どのような方であるか」に目を留めましょう。
主は「いのちを延ばすこと」を「小さなこと」とされる方です。
あなたの問題は、それ以上に「大きい」ですか?
主は「必要のすべてを知っておられる方」です。
あなたを造られた方は、あなたにとって「必要なこと」を熟知しておられます。
信じましょう。
「なぜほかのことまで心配するのか」と言われる方を信じましょう。
「失望させられることがない」とは、あるいは「恥を見ることがない」です。
信じる者は「失望」しません。「恥」を見ることもありません。
「自分の神を知る者」こそ、堅く立つ者です。
心配しない秘訣は「神がどのような方であるのか」を知ることです。
私たちは「こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか」と言われる方を信じて歩む者です。
私は、主を信じます
主には不可能はありません
主は、必要のすべてを知っておられます