黙示録20:4
また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられたたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
千年の間、王として
さて、大患難が終わり「竜」が縛られます。千年王国が始まります。
その間、聖徒はどのような状態にあるのでしょう。
ヨハネは「多くの座」を見ます。この「多くの座」は、ただの椅子と言う意味ではありません。権威を持つ者たちが「座るところ」という意味です。
ヨハネが見た時、その「多くの座」には、すでに座っている者たちがいたのです。
彼らには「さばきを行う権威」が与えられていました。彼らは、すでに召された聖徒たち、すでに携挙された聖徒たちだと思われます。
キリストにある聖徒たちは、千年王国において「権威者の座」に座ることになります。パウロが言ったとおり、聖徒が世界をさばくのです。
これは、とても興味深い聖句ですね。
パウロは「あなたがたは知らないのですか」と言っています。
そこには「当然、知っているべきことなのに」というニュアンスが含まれています。少なくとも、パウロ自身は「自分が世界や御使いをもさばく存在である」ことを知っているのです。
あなたは、知っていましたか?
千年王国の始まるとき、あなたは自分がどこに座る者であるのか知っていますか?
ヨハネの見た「多くの座」のうちの一つは、あなたのものです。あなたが、今、キリストにある者ならば、必ず、治める者とされるのです。
それは「いつかそうなる」だけのことではありません。
パウロの言うことをよく聞いてください。
「私たちは御使いたちをさばくようになります。それなら、日常の事柄は言うまでもないではありませんか」
私たちは、いつの日か「多くの座に座る者のひとり」となります。御使いたちをも裁くことになるのです。信じられないような話ですね。しかし、聖書はそう言うのです。
「それなら」とパウロは言います。
「小さな事柄、日常のことは言うまでもない」と。
つまり、パウロは「今」生かされていることと、「後」に与えられる立場とを「別々に」考えてはならないと言っているのです。
あなたは千年王国において「権威」を持っています。そうであるならば「今」も権威者として生きるべきなのです。
私たちは確かに「座る者」です。
私たちは、キリスト・イエスにあって「天上に座る者」です。
「座らせてくださいました」とは、もうすでに「座らされた」という意味です。それは、すでに完了しているのです。
私たちは、この世に生かされている間、「目に見えない方を見ているようにして」歩まなければなりません。
まだ「権威の座」を見てはいないけれど、すでに「座っている者」として生きるのです。
あなたは、主イエスとともに「天上に座る者」です。
それは、もろもろの天より高い場所です。あなたは、第三の天に座っているのです。
空中の権威を持つ支配者、不従順の子らの中に働く霊よりも高い所にいるのです。第二の天でうごめく悪霊どもを恐れてはなりません。あなたは「キリストとともに天上に座っている」のです。
そこから、あなたの生きる世界を見てみなさい。あなたの抱える悩みの原因を見てみなさい。大きな山のように高い問題より、あなたが座っている場所のほうがはるかに高いのです。
そのような視点を持つならば、イエス様の言われたことも「さもあらん」と思えるでしょう。
私たちは、キリストにあって「天のところに座る者」です。主が、あなたに与えてくださった権威を軽んじてはなりません。主イエスの御名を用いる特権を、精一杯に活用せねばなりません。
信じて命じれば「山は動く」のです。
私は、「キリストにある」ことの偉大さをもっと知る者となりたいのです。
第一の復活にあずかる者
千年王国において治める者となる人々は、他にもいます。
使徒ヨハネは殉教した人々のたましいを見ます。
患難時代に、獣に屈服しなかった人々がいます。彼らは、獣の像を拝まず、額にも手にも刻印を受けなかった人々です。
彼らも生き返って「千年の間、王として治める」のです。
旧約時代の主の聖徒もよみがえります。
「いのちの書」に名前が記されている人々はみな、よみがえります。
そして、おそらく、この時に「栄化されたからだ」が与えられるのではないかと私は思っています。
イエス様が、よみがえられて弟子たちにお姿を現されたときと「同じからだ」が与えられるのだと思います。私たちは、千年王国の間、地上に住む人々と「栄化されたからだ」で関係を育むのでしょう。
これが「第一の復活」です。
第一の復活にあずかる者は幸いです。
第一の復活にあずかる人々は「永遠に生きる者」です。彼らは「第二の死」を恐れることはありません。
「永遠に生きる者」とは誰でしょうか?
イエス様を信じる者は、永遠に死ぬことがありません。つまり、永遠に生きるのです。
あなたは、このことを信じますか?
あなたは、「永遠のいのちを持っているのだ」という確信がありますか?
あなたが、イエス様を信じているのなら、決して「第二の死」を経験することはありません。
第二の死とは「火の池」のことであると聖書は言います。
そこには、すでに「獣」と「偽預言者」がいます。そして、後でサタンも投げ込まれる場所です。
私たちは、主とともに生きる「永遠のいのち」を喜びましょう。第一の復活にあずかれる幸いを喜びましょう。
確かに、世にあっては患難があります。しかし、恐れてはなりません。
「永遠」の視点をもって生きることを学びましょう。
私たちは「永遠のいのち」を持っているのです。そのことを、もっと強く握りしめ、もっと高く掲げましょう。
あなたは、千年王国において「祭司となり、王として治める」者です。
そして、それは「今」もそうなのです。
あなたは、すでに「王である祭司」です。
権威を持って、立ち上がりなさい。両手をあげて、とりなしなさい。
私たちは、天に上げられるまで、驚くべき光の中に召してくださった方を告げ知らせるのです。
しかし、千年が終わると
前回も少し触れましたが、千年が終わると、サタンはしばらくの間解き放たれます。
地上での千年間は、とても平和で安全です。平和の君が統治されるのですから、人々は不安も恐れもなく暮らすのです。
しかし、千年が終わると、すべてが不穏になります。人々は、千年の間、一度も感じたことのない恐怖を感じるでしょう。
サタンが解き放たれると、それまでは「抑え込まれていた欲」が活発に動き始めます。千年王国とは、欲のない時代ではなく「惑わす者」「誘惑する者」がいない時代なのです。
サタンは、解き放たれると全力で、人々を惑わしにかかります。人は、再び、自分の欲に引かれ、罪をはらみ、死を生むようになります。
サタンの召集に応じる人は「海の砂のように多い」のです。
つまり、千年王国の間、心からイエス様の統治を喜んでいなかった人々が、それほどに多いということです。
もう一度、黙示録20章7節と8節を読んでみましょう。
サタンが惑わすのは「諸国の民」です。そして、それは「すなわちゴクとマゴク」と呼ばれています。
つまり、「諸国の民」と「ゴクとマゴク」とは同じ人々を表すということです。彼らは、最後の最後まで「神に逆らう」ことを選んだ人々なのです。
ここで出て来る「ゴクとマゴク」が、エゼキエル38章・39章に登場する「ゴクとマゴク」と同じ意味で使われているのかは分かりません。ただ、エゼキエルと黙示録では、預言されている年代が違うと私は思っています。
エゼキエルの方は、千年王国の前の戦いを預言していて、黙示録は千年王国後のことを預言していると私は考えています。もちろん、両方が同じ千年王国後の戦いを預言しているという学者さんも多くいます。
たいへん興味深いですが、今回は、ゴクとマゴクについては、これ以上は触れません。また機会があれば学びたいと思います。あるかな~、そんな機会… あったらいいなと思います(笑)
サタンに惑わされた人々は「愛された都」すなわち「エルサレム」を包囲します。
海の砂のような大軍がエルサレムを取り囲みます。
黙示録は、ここで「日にち」を提示しません。患難時代には、あれほど多くの「数字」が飛び交っていましたが、ここでは「何日間」とか「何年」という数字は記されていないのです。
ですから、サタンが人々を惑わすのに、どれぐらいの時間を要したのかはわかりません。
それは「一瞬」だったという学者さんもいます。また、それは「数年かかった」という学者さんもいます。
聖徒の「陣営」と記されていますから、エルサレムにいる聖徒たちも「応戦する準備」を整えているのではとも考えられます。そうすると、もしかすると「数カ月~数年」の混沌とした時間があるのかなとも思えますね。
しかし、黙示録に記されていないということは、それは特に重要ではないということでしょう。サタンが一日で人々を召集しようが、何年もかけて緻密に準備しようが結果は同じです。
「すると天からの火が下って来て、彼らを焼き尽くした」
彼らが何年もかけて準備をしたとしても、その滅びは、疑問の余地なく「一瞬」の出来事でしょう。
これで、本当に悪魔は終わりです。
悪魔は、黙示録と創世記を憎んでいると言われます。悪魔は、人が聖書を読むことを嫌います。聖書を読むことを邪魔します。特に黙示録と創世記を読むことを妨げると言われます。
それは、自分の最後が「はっきり」と記されているからです。
創世記のはじめでは、自分の手口と「頭を打ち砕かれる」ことが記されています。そして、黙示録には、もっと詳しく自分が滅びる姿が描き出されています。
ですから、私たちは、黙示録と創世記をとことん学ばなければなりません。
そうして、悪魔は「敗北した敵」なのだということを覚えなければなりません。
愛する兄弟姉妹
「終わり」はすでに定められていることを忘れてはなりません。
私たちは、勝利に向かっているのではなく、すでに「勝利」なのです。つまり、私たちは「勝利」しているという立場に立って戦うのです。
霊の戦いは「力」の戦いではありません。いつも言うように、それは「真理」と「偽り」の戦いです。
敵は、自分たちの「力」を誇示します。そうして、あなたを恐れさせ戦いを有利に進めようとするのです。
しかし、騙されてはなりません。
常に「真理」に立ちなさい。敵は「すでに敗北している」のです。
あなたが神に従い、そうして、悪魔に立ち向かうなら、悪魔は逃げ去ります。
そうせざるを得ないのです。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。
主は、あなたに真理を教えてくださいます。真理を知れば、あなたは自由になります。惑わしから解放されます。今まで、恐ろしく思えていた敵が「偽り者」で「敗北者」であることを悟ります。
忘れないでください。
悪魔の最後は定められています。それに従う人々の最後も動揺です。
敵はすでに「敗北している」のです。
あなたは、主の勝利を高らかに宣言すればよいのです。
シャロームを祈ります。

