No.699 怒っても顔を伏せ続けてはなりません

猫かわいい

エペソ4:26
怒っても罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはなりません。

怒っても罪を犯してはなりません

主はカインに問われました。

創世記4:6
主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。

カインは「怒って」いました。「顔を伏せて」いました。

これは、カインが「神との正しい関係を持っていない証拠」です。

もし、あなたが「怒って」いて「顔を伏せて」いるのなら、同じように「神との正しい関係」から外れてしまっているのです。

カインは、怒りを治めることができず、戸口で待ち伏せている罪の手を取ってしまいました。

しかし、私たちは「それを治めなければならない」のです。

アダムとエバがエデンの園から追放され、どのぐらいの時が流れていたのでしょう。聖書は、カインやアベルの幼いころのことを記していません。私たちは、突然「成長した」二人の兄弟を見るだけです。

罪は、突然、顔を出し、突然、膨れ上がったように見えます。エデンの外で行われた最初の罪は「殺人」なのです。人々は、小さな罪をかさねて、小さな嘘を積み重ねて、とうとう殺人に至ったわけではないのです。

これは、罪とは徐々に膨れ上がるものではないことを意味します。私たちは、小さな罪を重ねて大きな罪に至るのだと考えます。罪は、転がり落ちる雪玉のように加速するたびに大きくなると思ってしまいます。確かに、そのように「段階を踏んで」大きくなることもあるでしょう。

しかし「怒り」から発生する罪は「段階を踏んで大きくなる」ことは、ほとんどありません。

「怒り」を心に飼ってしまったならば、それは暴発して大きな事に発展します。

カインは「腹が立つから、今日は、石をひとつぶつけてやろう。明日は、二つぶつけてやろう」と計画したわけではありません。最初から「殺してやろう」と考えたのです。

「怒り」という感情を持ってしまうことは、どんな人にもあるでしょう。

しかし、怒っても「罪を犯してはならない」のです。

1ヨハネ1:7
もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを保ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。

「怒り」が罪に発展するのは、主との交わりから離れてしまうからです。

あなたは「怒って」も「顔を伏せて」はなりません。日が暮れるまでに、主の光の中に戻りなさい。

「怒り」を持って行く所を間違えてはなりません。「怒りの矛先」を、その「相手」や「物と事」に向けてはなりません。

主は、あなたにも聞いてくださいます。

「なぜ怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか」

まずは「顔を上げて」そして、あなたが「なぜ怒っているのか」を主に申し上げなさい。怒りが静まってからではなく、その怒りを抱えたままで、まず「顔を上げる」のです。

光の中に出されたものは、必ず、きよめられます。主は、あなたの怒りをきよめてくださいます。

私は顔を伏せません
御子イエスの血はすべての罪からきよめます
私は、主との交わりを保ちます