No.682 絶えず臨在のうちに住む者だけが

親子の鳥

詩篇91:1
いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。

絶えず住みます

「いと高き方の隠れ場」と記した時、おそらく、詩人の心には「至聖所」が浮かんでいたのではないだろうかと思います。

当時、至聖所には大祭司しか入れませんでした。ゆえに、なおさら、詩人の心には「神の臨在」への思慕が溢れたのだろうと思います。

「隠れ場」とは「秘密の場所」という意味です。そこには「親しい人だけが入ることのできる場所」というニュアンスが含まれています。

「親しい者だけが入ることのできる場所」そこに詩人は「住む者」でありたいと願ったのです。

「住む者」とは「定住する者」という意味です。スポルジョンは「時折、訪れる客ではなく」と言っています。

あなたは「お客さん」でしょうか?

それとも「主の臨在に住む者」でしょうか?

もし、あなたが「臨在のうちに住む者」であるならば、そこから出てはなりません。スポルジョンは「私は5分と主の臨在から離れたことはなかった」と言っています。

「主の臨在のうちに住む者」こそ「全能者の陰に宿る」のです。

「全能者の陰」とは「日よけのおおい」です。「御翼の陰」と言ったほうが分かりやすいでしょうか。

「御翼の陰」におおわれるためには、全能者である主に「ぴったり」とくっつく必要があります。

遠慮して離れてしまうなら「翼」からはみ出てしまうでしょう。

「宿る」とは「夜を過ごす」という意味です。そこには「意志」が伴います。「自分で留まると決めた」というニュアンスを含む言葉が使われています。

神の臨在に定住する人は、危機の時、苦難の時には「ますます」主のみそばに近づきます。「絶対に離れないぞ」と堅く決意して「夜の時間」をやり過ごすのです。

ヘブル10:19
こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができるのです。

私たちは、旧約の詩人が憧れた聖所に大胆に入ることができます。

イエス様の血を携えて、確信をもってご臨在のもとに進みましょう。

主の臨在を慕い求めなさい。主の臨在のうちに住みなさい。絶えず、臨在の中に憩うのです。親しい者だけが「ともに住む」ことができるのです。

そして、危機の時には、ますます「近づき」なさい。その深みに、その奥に、意志をもって進むのです。

それは、あなたの決断によるのです。「主の臨在の深みの中で夜のときを過ごすのだ」と決めなさい。

主は、あなたを決して拒まれません。主は、親しく語りかけてくださいます。

主は、あなたの恐怖を完全に取り去ってくださるでしょう。

イエス様の十字架の血潮を感謝します
私は御座に近づきます
主よ、あなたの臨在のうちに住まわせてください