詩篇91:1
いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。
絶えず住みます
「いと高き方の隠れ場」と記した時、おそらく、詩人の心には「至聖所」が浮かんでいたのではないだろうかと思います。
当時、至聖所には大祭司しか入れませんでした。ゆえに、なおさら、詩人の心には「神の臨在」への思慕が溢れたのだろうと思います。
「隠れ場」とは「秘密の場所」という意味です。そこには「親しい人だけが入ることのできる場所」というニュアンスが含まれています。
「親しい者だけが入ることのできる場所」そこに詩人は「住む者」でありたいと願ったのです。
「住む者」とは「定住する者」という意味です。スポルジョンは「時折、訪れる客ではなく」と言っています。
あなたは「お客さん」でしょうか?
それとも「主の臨在に住む者」でしょうか?
もし、あなたが「臨在のうちに住む者」であるならば、そこから出てはなりません。スポルジョンは「私は5分と主の臨在から離れたことはなかった」と言っています。
「主の臨在のうちに住む者」こそ「全能者の陰に宿る」のです。
「全能者の陰」とは「日よけのおおい」です。「御翼の陰」と言ったほうが分かりやすいでしょうか。
「御翼の陰」におおわれるためには、全能者である主に「ぴったり」とくっつく必要があります。
遠慮して離れてしまうなら「翼」からはみ出てしまうでしょう。
「宿る」とは「夜を過ごす」という意味です。そこには「意志」が伴います。「自分で留まると決めた」というニュアンスを含む言葉が使われています。
神の臨在に定住する人は、危機の時、苦難の時には「ますます」主のみそばに近づきます。「絶対に離れないぞ」と堅く決意して「夜の時間」をやり過ごすのです。
私たちは、旧約の詩人が憧れた聖所に大胆に入ることができます。
イエス様の血を携えて、確信をもってご臨在のもとに進みましょう。
主の臨在を慕い求めなさい。主の臨在のうちに住みなさい。絶えず、臨在の中に憩うのです。親しい者だけが「ともに住む」ことができるのです。
そして、危機の時には、ますます「近づき」なさい。その深みに、その奥に、意志をもって進むのです。
それは、あなたの決断によるのです。「主の臨在の深みの中で夜のときを過ごすのだ」と決めなさい。
主は、あなたを決して拒まれません。主は、親しく語りかけてくださいます。
主は、あなたの恐怖を完全に取り去ってくださるでしょう。
イエス様の十字架の血潮を感謝します
私は御座に近づきます
主よ、あなたの臨在のうちに住まわせてください

