No.670 埋めたものを、主の御前に引き出します

美しい空と鷲

ヨシュア7:21
私は分捕り物の中に、シンアルの美しい外套一着と、銀二百シュケルと、重さ五十シュケルの金の延べ棒一本があるのを見て欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあります。

つまり、埋めたということです

アカンは、ついに白状しました。

「それらは今、私の天幕の中の地面の下に隠してあります」

アカンは、シンアルの美しい外套と金・銀を地面に埋めてしまったのです。

これらは「聖絶のもの」であって、決して、自分の所有物にしてはならないものでした。しかし、そんなことは、アカンも重々承知していたのです。それでも、どうしても「欲しくなった」のです。

しかし、よく考えれば、こんなに愚かな行為はありません。

「欲しくなって取った」として、いったい「いつ・どこで」使うつもりだったのでしょう?

戦争の真っただ中で、美しい外套をいつ着るというのでしょう?

しかも、隠すために「土に埋める」なんて。

外套など、土に埋めてしまえば、もう美しくもなんともないでしょう。

ヤコブ1:14~15
人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ誘われるからです。そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

アカンは、どのような思いで「クジ」が民を取り分けるのを見ていたのでしょう。

自分自身が取り分けられた時、自分が「死」を生んだことに気がついたでしょうか。

アカンはどうしても欲しかった物が「罪の証拠」になると悟り、それを隠すしかないと考えました。

アダムは、罪を犯した時、自分自身を隠しました。

人は、罪を「隠す」という性質をアダムから受け継いでいるようです。

しかし、隠したところで「罪が死を生む」ことに変わりはありません。

ローマ6:23
罪の報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。

罪の報酬が「死」であることに変わりはありません。

罪のためには必ず「犠牲」が必要なのです。

アカンやユダは「自分自身」で罪の報酬を受けました。

アダムを覆うためには「動物」おそらく羊が犠牲になりました。

そして、私たちの罪のためには、イエス様が血を流されたのです。

私たちは「欲」に引かれて「罪」を犯します。

あなたが、どうしても「欲しくて」手に入れたものは、今、あなたの目を喜ばせているでしょうか?

おそらく、見るのも苦痛でしょう。あなたは、そのことを心の奥底に隠してしまったかもしれません。

私たちは「弱さ」のゆえに「つまずき」ます。今から思えば、どうしてあの時、あんな行動をとったのだろうと悔やまれます。

あなたは、あの「過ち」を思い出すのもつらくなって、心の奥底に埋めてしまったかもしれません。

けれど、隠したままでは先に進むことはできません。

アカンの罪が隠されたままでは、イスラエルは「アイ」に勝利することはできなかったのです。

埋めてしまったものを、主の御前に差し出しなさい。

隠してしまったものを、主に明け渡しなさい。

大丈夫です。あなたは、自分で「罪の報酬」を負うことはありません。罪が生む「死」は、イエス様が引き受けてくださったのです。

イザヤ40:2
エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている。そのすべてのそむきの罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。

埋めたものを掘り返し、隠したものを献げなさい。

主は、あなたを二倍の恵みをもって慰めてくださるでしょう。

あなたの勝利は、そこから始まるのです。

主よ、私を探ってください
隠してしまったものを、あなたに献げます
二倍の恵みを感謝します