使徒4:29
主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。
大胆にみことばを
使徒の働きを読むたびに思います。初代教会の人々と自分とでは何が違うのだろうと。
初代教会では、みなが伝道しています。問題も多くありましたが、それでも聖徒たちは「誰でも」福音を宣べ伝えているのです。奇跡を行い、癒しを行ない、預言をしていたのは「使徒たち」だけではありません。
一番大きな違いは「祈り」であると私は思うのです。
ペテロとヨハネは捕らえられ、祭司長たちに脅されました。「今後いっさいこの名を語ってはならない」と命じられたのです。
けれど、それを聞いた初代教会の人々は、このように祈ったのです。
「脅かし」があるのです。主イエスの御名によって語れば「ひどい仕打ち」が待っているのです。
しかし、彼らは「エルサレムで語るのは厳しいね。拠点を別の場所に移すのはどうだろう?」などと言いませんでした。
それどころか「ますます大胆に語らせてください」と祈ったのです。語るだけでなく「癒しとしるしと不思議を行わせてください」と願いました。
自分の祈りとのあまりの差に愕然とするばかりです。
イエス様は言われます。
私たちはいつも「収穫はまだ先だ」と思ってしまいます。
まだ準備ができていないと思ってしまうのです。
しかし、考えを変えるときが来ています。
「目を上げて畑を見なさい」
あなたにも「収穫すべき畑」があるのです。そして、あなたには「収穫する能力」が与えられているのです。
いつまでも、自分の内側を見つめて立ち止まるのはやめなさい。
「収穫」はあります。常に不足しているのは「働き手」の方です。
あなたの目の前には「色づいた畑」があります。
けれど、同時に「脅かし」も見えるでしょう。
「この名で語る」ことへの「脅かし」は、いつの時代にもあるのです。それは、敵が最も嫌がることですから。
愛する兄弟姉妹。
「脅かし」はあるでしょう。
けれど、私たちは祈りましょう。
「主よ、脅かしがあります。私の心には恐れがあります。けれど、今、それでも大胆に祈りたいのです。主よ、どうか、みことばを大胆に語らせてください。主イエスの御名によって、癒しとしるしと不思議を行なわせてください。主よ、使徒の働きが、ただの物語ではないことを証明してください。今も、同じ御業があらわされることを私に見せて下さい。」
あなたがみことばを大胆に語り、あなたの手によって癒しが行われますように。
しるしと不思議が起こることが「日常」となりますように。
私たちは、聖霊によって「どんなことでもできる」のです。
主よ、大胆に語らせてください
癒しを行なわせてください
聖霊の御力に帯びさせてください

