No.73 感謝は探すものではありません

ひまわり

【ピリピ4:6】
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

あらゆる場合にと聖書は言います

「できる時だけ」「そのような気分の時だけ」とは書かれていません。

祈る時には「感謝を持って」御前に出なければならないのです。

良いと思えることがあった日に感謝するのは簡単でしょう。嬉しいことがあれば自然と感謝します。

けれど、思い煩いがある日はどうでしょう。辛い時、苦しい時、周りをいくら探しても感謝するようなことが見つからない時には、とても難しく感じてしまいますね。

しかし、覚えてください。

感謝とは、探すものではないのです。

感謝をいつも「物」と「事」から探していたら、そのような信仰生活は浮き沈みが激しいものとなるでしょう。

感謝を「物」と「事」だけに見つけていたら、必ず行き詰まります。

なぜなら、感謝とは「探すもの」というより「認めるもの」だからです。

詩篇136:1~5
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
神の神であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
主の主であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。
その恵みはとこしえまで。
英知をもって天を造られた方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。

詩篇の記者が感謝しているように、私たちも感謝しましょう。

私たちは「主がいつくしみ深い方」であることを感謝します。

そのいつくしみ深い方こそ「唯一のまことの神」であることに感謝します。主が不思議を行われる方であることを感謝します。主が創造主であることを感謝します。そして、その恵みはとこしえまであることを感謝します。

主を見上げて、主の素晴らしさを見つめるのです。感謝はそこにあります。主の素晴らしさを認めて告白することこそ感謝なのです。

詩篇34:8
味わい 見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。
幸いなことよ
主に身を避ける人は。

私には感謝することなど何もないと言わないでください。あなたの周りの「物」と「事」に感謝を探さないでください。

主を見つめるなら、必ず、そこに感謝を見出します。

主の素晴らしさを宣言してください。そうすれば思い煩いから目を離すことができます。

何も思わずらないで、あらゆる場合に感謝を持って祈りをささげることができます。

そうすれば、理解を超えた神の平安が与えられるのです。

ピリピ4:7
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

私はあらゆる場合に感謝します。
主を見つめるなら感謝が尽きることはありません。