2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.557 主よ、もしここにいてくださったなら

静かに座る子

ヨハネ11:32
マリアは、イエスがおられるところに来た。そして、イエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」

主は、マリアの前におられます

マリアもマルタも、イエス様は必ず来てくださると信じていたでしょう。

しかし、イエス様はすぐに来てくださいませんでした。

それでも、きっと来てくださるとマリアは信じていたはずです。けれど、イエス様はとうとう間に合わなかったのです。

主は、ラザロが葬られて「四日後」に来られました。

ヨハネ11:32
マリアは、イエスがおられるところに来た。そして、イエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」

「もしここにいてくださったなら」とは「なぜ、ここにいてくださらなかったのですか」ということです。

「なぜ」主は、最も必要な時に「ここにいてくださらなかった」のでしょう。

「なぜ」すべての希望が失われる前に来てくださらなかったのでしょう。

すべては「もう遅い」とマリアは思っているのです。

確かに、それは「遅れている」ように見えます。

いえ、すでに「終わってしまった」とあなたは感じているかもしれませんね。

物事が「どんどん悪くなる」ように見えるとき、私たちは「主は、どこにおられるのか」と思います。

しかし、主は「今ここに」おられます。そして、絶えず「ここに」おられたのです。

「すべてが終わった」と絶望しているマリアの目の前に、今、イエス様はおられます。

そして、「なぜ、どうして」と嘆いているあなたの目の前にもおられます。

あなたは何に「絶望」したのでしょう?

あなたの「希望」は、すべて消えてしまったのでしょうか?

「信じていたこと」は実現しなかったのでしょうか?

イエス様は、あなたの思ったとおりの「時」に事を行なってくださらなかったのでしょうか?

私にも、あなたの気持ちはよく分かります。

しかし、どうか覚えてください。

「主よ、あなたはどこにおられるのですか」と叫びたくなるようなとき…

イエス様は、あなたに言われます。

「わたしは、ここにいる」と。

マリアが、主の足もとにひれ伏したように、あなたもひれ伏しなさい。泣きながらすがりつきなさい。

「もう終わりだ」と思っても…

「すべてが失敗だった」と感じても…

「もう間に合わない、取り返しがつかない」と叫びたくなるときも…

主の足もとにひれ伏すのです。

あなたにも「ここにいるよ」という御声が聞こえるでしょう。

イエス様は、あなたに「悲しみ」「苦しみ」をもたらす出来事に対して「憤り」を感じてくださいます。マリアの悲しみに「憤って」くださったように。

「遅延」は「愛されていない証拠」ではありません。

「死」は「絶望」ではありません。

「見える今」は「すべて」ではないのです。

その日、マリアの絶望は「歓喜」に変わりました。イエス様によって「不可能は可能」となりました。

ラザロは墓から出てきました。そして、神の栄光が現わされたのです。

主は「一日」ですべてを変えることがお出来になります。

私は、その「一日」を心から待ち望みたいのです。

イエス様、ここにいてくださることを感謝します
主よ、あなたの御前に、ただひれ伏します
主の栄光を現わしてください