2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.499 やめて、その後、知るのです。

静かな御業

詩篇46:10
やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。

今、やめるのです

主は「やめよ」と言われます。

「やめよ」とは「失う」「降伏する」「手放す」「静まる」「手を引く」などと訳せます。

主は、今、あなたの持っているものを「手放せ」と言われます。

主は、今、あなたの抱えているものから「手を引け」と言われるのです。

重荷を抱えている心には「葛藤」がつきものです。「葛藤」とは、心の中の戦いです。

コロサイ3:15
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

主は「平和の君」であり「戦いをやめさせる方」です。

すべてのことを御前に明け渡しましょう。主は、今、明け渡しなさいと言っておられます。

心の中に「戦い」を抱えていてはなりません。あなたの心は「キリストの平和」によって支配されなければなりません。

「やめよ」とは「静まれ」ということです。

「心」は、放っておいて勝手に静まるものではありません。

私たちは「静まる」ことを選ばなければならないのです。

御前に静まることを選び、降伏することを選び、葛藤、悩み、心配、罪を手放すことを選ばなければなりません。

詩篇46:10
やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。

「やめて」その後に「知る」のです。

「知れ」とは、ただの知識ではありません。これは「体験的に知る」という言葉です。「知り合いになる」とも訳せます。

私たちは、ただ「神がおられる」ことを知っているだけで満足していてはなりません。

主が「生きて働いておられる」ことを知りたくはありませんか?

海を分けられ、天からマナを降らせた方が、私たちの神なのです。

水の上を歩かれ、二匹の魚と五つのパンで群衆を満腹にされた方は、今、私のうちに生きておられます。

主は、ご自身を「知れ」と命じられています。ただ「知識」においてではなく「体験する」ようにと招かれているのです。

あなたは、主を知っていますか?

主の愛を、主の御力を体験しているでしょうか?

私たちは、やめましょう。明け渡しましょう。降伏しましょう。手放しましょう。静まって、キリストの平和に満たされましょう。

心の中で戦うことをやめて、ただ、静まって御前にでましょう。

そうすれば「主こそ神」であることを知ることができるのです。

主よ、あなたの御力を現わしてください。
聞くだけではなく、実際に体験したいのです
主よ、私は、すべてを明け渡します