No.458 主よ、どうか「目」を健やかにしてください

砂浜にサングラス

ルカ11:34
からだの明かりは目です。あなたの目が健やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いとからだも暗くなります。

目が悪ければ、からだ全体も悪くなります

「明かり」とは「照らすもの」のことです。「ランプ」とか「ともしび」などと訳されます。

「目」が私たちを「照らすもの」であるとは面白いですね。

「目」とは、他に「洞察力」「理解力」「判断」「考え」などと訳すこともできます。

つまり、私たちの「洞察力」「判断力」は、私たちの人生を照らすランプのようなものなのです。

「健やかな目」がなければ、私たちは「主の用意された道」を歩むことはできません。

使徒2:28
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びに満たしてくださいます。

主は「いのちの道」を知らせてくださいます。

「健やかな目」を持つ人は「いのちの道」を歩むことができます。

「健やかな目」を持つ人には「いのちの道」が見えるのです。

「健やかな目」を持つ人は、「破滅に至る道」を見分けることができます。

では、どうすれば「目を健全に保つ」ことができるのでしょう。

二つの秘訣があります。

一つ目は「見るものに注意すること」です。

ピリピ4:8
最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いこと、また、何か徳とされるべきことや称賛に価することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。

私たちは「清いもの」を見ましょう。「目」から入る情報は、とても大切です。私たちの「洞察力」「判断力」に大きな影響を及ぼします。

私たちは意識して「清いもの」を見るようにしましょう。

二つ目は「愛すること」です。

Ⅰヨハネ2:11
しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいます。闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです。

「憎しみ」は、私たちを「闇」へと導きます。反対に「愛すること」は、私たちを「光の中」に留めます。

ペテロは、これらの2つをまとめてこのように言っています。

Ⅱペテロ1:5~6
だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

Ⅱペテロ1:9
これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。

「心の目」を「近視」にしてはなりません。

私たちは「はっきり見える目」を保もたなければなりません。

ルカ11:35
ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。

私たちは「気をつけて」歩みましょう。

「どこに行けばいいのか分からない」

「どうすればいいのか分からない」

そのように感じる時は「目が病んでいる」のです。「病んだ目」では正しい道を歩むことはできません。

まずは歩くのをやめて「目を回復させること」です。

最も「よいもの」つまり、主を仰ぎ見ましょう。そして、主の愛を見つめるのです。

「健やかな目」を取り戻せば、あなたの全身が光に輝きます。

主よ、私の目を健やかにしてください
主よ、あなたの栄光を見ることができますように
主の愛によって歩むことができますように