Ⅰペテロ5:6
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
上るとは下ることなのです
ヨセフの話を聞いた兄さんたちは怒りました。ヨセフを偏愛していた父ヤコブでさえも腹を立てました。まあ、さもあらんとは思います。
この「夢」を見て、その話をしたせいでヨセフの人生は下降していったのです。
「夢」なんて見ない方がいいのでしょうか。しかし、この「夢」は主なる神が与えてくださったものです。
それでも「夢」なんか与えられなければよかったなと、ヨセフは思ったかもしれません。
ヨセフの人生は「真っ逆さま」に下って行くように見えました。ヨセフの見た夢は、永遠に成就しないように思えました。
父や兄たちに拝まれるなどという身分とは、真逆の立場に置かれています。
「夢見る者がやって来る」と兄たちは言いました。そして、ヨセフの身ぐるみをはがし穴に投げ入れ、あろうことかミディヤン人の商人に売り飛ばしてしまいました。
ヨセフは、エジプトに奴隷として売られます。そして、そこでも苦難が待っていました。
「奴隷」が一番低い場所かと思っていましたが、まだどん底ではなかったことをヨセフは知ります。
無実の罪で「囚人」とされるのです。ヨセフは正しく生きていました。悪いのは誘惑してきたポティファルの妻です。ヨセフの言い分は聞き入れられず、彼は監獄に入れられます。そこで「囚人に仕えるしもべ」となるのです。
下に下に下に…
どこまでも下って行きます。
しかし、これは「主の御手の中」の出来事でした。
あなたの人生が「下り坂」に見えたとしても、それは「見捨てられた」と言う証拠ではありません。
これ以上ないほどの「下り坂」、そのどん底にあっても「主はヨセフとともにおられ」ました。
自分の見た「夢」は、ただの勘違いなのではないだろうかと思うことがあります。
自分の人生は「下って」いると思うこともあります。
目指すところとは「反対の方向」にいるように思えることもあります。
しかし「上に向かう道は、常に下にある」のです。
もし、あなたが「自分は上にいる」と感じているのなら、おそらく「夢」は成就しないでしょう。
しかし、もし、あなたが「私はどん底にいる」と感じているならば、主が「ちょうど良い時に高く上げて」くださることを期待してください。それは、必ず起こります。
ヨセフは、一日にして「高く上げられ」ました。監獄の奴隷が「エジプトを治める支配者」とされたのです。
ヨセフに与えられた「夢」は成就しました。兄たちがヨセフにひれ伏す日が来ました。
しかし、その夢が成就した日、ヨセフは「夢の成就」を喜びはしませんでした。
夢の成就は「たいしたことではなかった」とヨセフは知ったのです。主は「良いことのための計らい」をしてくださったのです。
主は「夢の成就」以上のことを成されました。主は「ヤコブ一族」だけではなく、それ以上の多くの人々を飢えから救われたのです。
主の「計らい」は、私たちの考えを「はるかに超える」のです。
下に下にと降りていくとき、私たちは「主の御手」を心の底から感じるようになります。
そうして、高く上げられたならば、おそらく私は「夢の成就」を喜びはしないでしょう。「私の野心」は消えてなくなり、ただ「神の栄光」だけを誉めたたえるようになるでしょう。
下らなければ、上れません。
私たちは、ただ「主の御手の下に」へりくだって歩めばよいのです。
主の御手の下にへりくだります
主に信頼します
どんな「底」にも、ともにいてくださることを感謝します