創世記13:11
ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして、彼らは互いに別れた。
それは賢い判断に見えます
ロトは「自分のために」ヨルダンの低地を選んだのです。
ヨルダンの低地全体は、その当時、とても美しかったのでしょう。そこは「主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた」のです。
自分に属するすべての人や、多くの家畜のことを考えるなら「ヨルダンの低地全体」を選ぶことは賢い判断であったでしょう。
しかし、私たちは知っています。この選択によってロトは「いのち以外のすべてを失う」ことになったのです。
ロトは「肉に属する人」の代表です。「肉に属する人」は、常に「自分のために」選択するのです。
「御霊に属する人」と「肉に属する人」が聖徒の中に存在するのは事実です。二種類の人がいるのです。
ロトは「正しい人」でしたが「肉に属する人」でした。
ロトは、ソドムとゴモラの人々の行いに「心を痛めて」いました。正しい人だったからです。
ロトの「いのち」は救い出されました。しかし、彼が築いた地位も、所有した家も、財産も、何もかもを失いました。まさに「命からがら」逃げ出したのです。
ロトは「正しい人」です。彼は不道徳な人々の中で「正しい生活」をしていました。しかし、最終的に、ロトには何も残りませんでした。
「肉に属する人」として歩んではなりません。見えるところで「損得」を量ってはなりません。
「自分のために」という基準で何かを選択してはなりません。それが、世の中的には「常識」であり「賢い」選択であったとしてもです。
主の御声を聞きなさい。
誰かが先に選んでも焦る必要はありません。なぜなら、あなたが「御霊に属する人」ならば「出遅れる」ことなどないからです。貪る人には、貪らせておけばよいのです。あなたには、主が「最も良いもの」を残しておられます。
ロトが左右のどちらを選んでも、アブラハムにとっては何の問題もありませんでした。アブラハムの相続地は「神ご自身」だったからです。
私たちは「すべてを握る方」に属しています。「御霊に属している」限り、失うものは何もありません。たとえ何も持っていないように見えても「すべてのものを持って」いるのです。
「肉に属する人」として生きるのは終わりにします。
主は「固い食物」を食べることのできる「霊的な大人」を求めておられます。私たちは、もっと「主なる神」を知ることができるのです。
「御霊に属する人」として歩むことを求めましょう。
私は「御霊に属して」歩みます
主よ、どうか栄光を現わしてください
あなたを深く知ることができますように