エペソ1:4
すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
それは永遠の計画です
主は「世界の基が据えられる前から」ご計画をお持ちでした。
私たちは、主イエスにあって選ばれた者です。その目的は明確です。主の御心は明らかにされています。
「御前に聖なる、傷のない者にしようとされた」のです。
私たちが、イエス様にあって選ばれたのは「御前に聖なる、傷のない者」とされるためです。
私たちは、みな「聖なる生きたささげ物」です。
神への「ささげ物」は、聖なるものとして特別に取り分けられる必要があります。そして、また、神への「ささげ物」は「傷のないもの」でなければなりません。
聖徒はみな「傷のないもの」でなければならないのです。
これは、身体の癒し、病の癒しのことだけではありません。私たちの「心」にも傷があってはならないのです。
イエス様は「心の傷ついた者を癒すため」に地上に降りてきてくださいました。
「癒すため」を直訳すると「包むため」です。
主は、あなたの「心の傷」を癒したいと望まれます。イエス様は、あなたの「心の傷」を包むために来てくださったのです。
「聖なる生きたささげ物」となりたいと願うなら「傷のないもの」でなければなりません。
自分が「傷ついている」と認めることは、ある人にとっては重たいことでしょう。
「私の傷は深すぎて癒されない」と思う人もいるかもしれません。
しかし、主に癒すことのできない傷はありません。
イエス様は、あなたの「心の傷」を癒すために来られました。その目的を果たされないことは決してありません。
十字架の上で「心を裂く」ほどの苦痛を忍んでくださったのは、あなたの「心の傷」を包むためです。主は、私たちの心の傷を完全に癒すことがお出来になります。
あなたの傷がどれだけ深くても、必ず癒されます。
誰かが放った言葉の矢も、必ず、抜き去ってくださいます。
悲しい別れも、自分のせいだという罪悪感も、どのような傷も包まれます。
たとえ、自分の犯した罪のせいで傷ついていたとしても、主は、あなたを傷つけるものはなんでも、あなたから遠ざけてくださいます。
それは、昨日今日に始められた計画ではありません。「世界の基が据えられる前から」の計画です。
御父は「世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしよう」と思われたのです。
主の御心は、あなたを「傷のない者」とすることです。
心をすべて明け渡しましょう。主は、それを喜んで包んでくださいます。あなたは必ず癒されます。
主よ、あなたに私の心を明け渡します
私の心を調べてください
すべての傷が癒されることを感謝します