【Ⅰ歴代誌17:4】(新改訳第3版)
「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。
ダビデは主の宮を建てたいと願いました
誰の目から見ても良いことでした。預言者ナタンも賛成していたのです。
しかし主は言われました。
「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない」
主はダビデに神殿を「建ててはならない」と言われました。あなたが建てるのではないソロモンが建てるのだと言われたのです。
主のために、私たちは「願い」を持ちます。その「願い」は、私たちをワクワクさせます。主のために行うのだと熱心に、そして本気で願います。
しかし、その願いに「否」と宣告されたなら…
私たちはここで試されます。
その「思い」「願い」が心の中にあったことは良いことであったのです。
主が「良い」と認めてくださったなら、その願いは良いものです。主のためのものです。そして、その「願い」は成ります。
ただ私を通してそれが成されないだけなのです。けれど、それは退けられたということではありません。
ダビデは神殿を建てたいと願いました。しかし主は、ダビデに言われます。
主の方こそダビデに「家を造る」と言われるのです。ダビデの家は祝福され「とこしえ」に続きます。
ダビデは、その主の約束を心から喜びます。
自分に与えられた願いだからといって、必ず自分が用いられるとは限りません。自分の思う通りに用いられないからといって、そんなことに何の問題があるのでしょう。
ただ私は、私の名が天に記されていて、私の住まいが永遠の都に用意されていることに感謝すればよいのです。
ダビデは神の宮を喜びとしました。自分が建てるわけではないけれど「私の神の宮」と呼びました。
「私の神の宮」に対する喜びとして、すべてのものを準備したのです。
ダビデは材料を準備することに全力を注ぎました。「自分は建てる器ではない」「建てるように召された者が準備すればよい」などと言わなかったのです。
私もそうすることができます。
もし会社で思ったような立場につけなくても、そのプロジェクトのために祈って、準備を手伝って、支えることができます。
たとえ宣教師として遣わされなくても、祈って、そして献げて、支えることができます。
自分は「献身者」「奉仕者」ではないから教会では「重要」ではないとは思わないでください。あなたは祈って支えることができます。材料を準備することができます。見えない奉仕はたくさんあるものです。
主は、あなたの心の願いを知っておられます。「神の宮」への良い思いをご存じです。与えられた役目が「願った通り」ではなかったとしても、「全力を尽くして」準備してください。
大切なことは「主のみこころ」が成ることです。主の宮が栄光で満ちることです。それこそダビデの願いでした。そして、また、私の願いでもあります。
主の御心が成りますように
主の宮が栄光にあふれますように
ただ、主だけを見上げます